二日間に渡る神事で繰り広げられる神楽は三部構成で行われます。能の所作が取り入れられており、芸能性が高く、各地の里神楽にも多大な影響を与えています。 昭和五十一年五月に国の重要無形文化財、平成二十三年十一月二十八日には、ユ
佐太神社
佐太大神を始め、十二柱の神々をお祀りする出雲國三大社の内の一つです。社殿は、大社造りのお社が三殿並ぶ珍しい形式で国の重要文化財に指定されています。 ひときわ高い中央の正中殿に主祭神の佐太大神が祀られています。佐太大神は、
夫婦岩
和歌発祥之地として訪ねる人も多い須我神社ですが、鎮座地背後の八雲山には「夫婦岩」と呼ばれる三つの巨大な鎮座が祀られています。 奥の宮と呼ばれています。  
里山の中
ひっそりと鎮まる須我神社には、二柱の間にお生まれになった御子も祀られています。清之湯山主三名狭漏彦(すがのぬしやまぬしみなさろひこ) 八島野命(やしまのみこと)。神社から北東の方向へ約二キロ先の八雲山~御室山の中腹まで足
須我神社
縁結び、夫婦円満に絶大の御利益あると言われています。 素戔嗚尊が「八雲立つ」の歌を詠んだ和歌発祥の古社 八俣の大蛇を退治し、妻の稲田姫命とともにこの地にたどり着いた素戔嗚尊が、「我が御心すがすがしい」といい、日本で初めて
八重垣神社の玉椿。
境内内に3本存在する夫婦椿。まれに二つの椿の葉っぱが一つに結ばれた御神徳の現れと言われる葉も見られます。 稲田姫が二本の椿の枝が芽吹き一本の木になったと言う言い伝えが残されています。 一心同体、愛の象徴ととして 神聖視ら
宝物殿
ここには、約千百年前に描かれたという神社の障壁画としては日本最古の「板絵著色神像」が公開保存してあります。 素戔嗚尊や稲田姫命、天照大神など平安時代の宮廷絵師によって描かれた六神像の壁画で、元は本殿の板壁画だったようです
夫婦椿
境内内に3本存在する夫婦椿。まれに二つの椿の葉っぱが一つに結ばれた御神徳の現れと言われる葉も見られます。 稲田姫が二本の椿の枝が芽吹き一本の木になったと言う言い伝えが残されています。一心同体、愛の象徴ととして 神聖視られ
縁結びの神社と言われる訳
八重垣神社の社殿が縁結びとされる理由は社殿の背後にあります。本殿後方の奥の院には、木々がうっそうと茂る佐久佐女の森が あります。この森は、素戔嗚尊が大蛇の生け贄にされそうになった稲田姫命を隠した場所として伝えられています
八重垣神社
出雲の古い民謡に「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」という節があります。古くから八重垣神社は縁結びの大神 として広く名前が知られていたようです。佐久佐神社という神社が古くにはあったようです。青幡佐久佐日古命をお祀
亀太夫神事
鑚火祭の中でも亀太夫神事と呼ばれる神事は、他では見られない変わった神事です。 出雲大社側が新米で作った1㍍位の神餅を持参して収めようとします。そこに、亀太夫という熊野大社の社人 が現れ、餅の出来映えについて「色が黒く粒々
熊野大社
火の発祥の神社として「日本火之出初之社(ひのもとひのでぞめのやしろ)」とも称される、出雲国の一宮です。 出雲大社に聖なる火をもたらす格式高い大社です。出雲で大社と呼ばれているのは、ここ熊野大社と出雲大社だけです。 熊野の
荒神谷遺跡青銅器
358本の銅剣、16本の銅鐸が出土しました。1ヶ所から出土した物としては日本最多で、銅矛と銅鐸が一緒に発見されたのも初めてです。 出雲型銅剣と呼ばれている銅剣の多くには根本の部分に「×」印が刻まれています。古代史の常識を
御本殿の千木と勝男木
昭和28年の出雲大社遷宮の時御本殿から下ろされた千木と勝男木が展示してあります。千木は長さ8.3メートル、重さ500キロ。 勝男木は長さ5.45㍍、重さ70キロあります。 目の前にすると改めてその巨大さが実感できます。
島根県立古代歴史博物館
出雲大社御本殿の復元模型 巨大柱が発見された後、それを基に5人の研究者が再現した50分の1の模型が展示してあります。最も低い物でも高さ27㍍、高い物は高さ48㍍ あります。 &n
平成の大遷宮
遷宮とは、神社の神殿を造営や改築する際に、御神体を遷すことをいいます。出雲大社では、昭和二十八年以来、六十年ぶりの遷宮が行われました。 伊勢神宮の式年遷宮との違いは、伊勢神宮は御神殿から宝物、調度品など全ての物が新調され
神議の会場
神様方の神議が行われるのは、出雲大社の西方約八百㍍、奉納山の麓にひっそりと建つ摂社、上宮、素戔嗚尊と八百万の神を主祭神とする お宮で行われます。午前9時から厳かに斉行されるされる神事で、朝早くから一般の人も沢山参列されま
神迎え祭の模様
神殿には山、川、海の産物がお供えさえ、宮司さんが祝詞を奏上し、大国主大神や八百万の神々に祈りが捧げられます。 このお祭りは、本社では初日・中の日・最終日、上宮、東西の十九社で連日執り行われています。 町の人は、この期間中
神迎え祭
翌日の旧暦十月十一日から十七日までの七日間の間、神々は東西の十九社に宿泊され「幽事」人と人との縁など、私達の知ることの出来ない 人生諸般の事などを神議りにかけて決められます。男女の結びに関する様々な事柄もこの神議で決めら
旧暦の神在月に神在り祭を行う訳
会議に参加される八百万の神様は、海から出雲大社にお越しになります。ご案内役は、背黒海蛇という龍蛇神んです。 この海蛇が海岸に漂着し始めるのが、日本海が荒れ始める頃、旧暦の神在月頃だそうです。