神楽殿 出雲大社、神楽殿の写真/長さ13m重さ5t、日本一の大注連縄(おおしめなわ)は迫力満点! 向って右側にはおみくじ、お守り売り場。 出雲大社、朝の神楽殿全景の写真、9時を過ぎると県内外からの観光客で この辺りは混雑
出雲大社
島根県簸川郡大社町杵築東にある出雲大社の正式名称は「いずもおおやしろ」ですが、杵築(きずき)にある所から杵築大社とも呼ばれ、日本NO1のパワースポット、 縁結びの神様、結婚式場として全国に知られ、ツアー旅行が絶えません。
出雲 長浜神社の国引き神話。
国引き神話で有名な八束水臣津野命は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ・・・ 最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう」と言われ、国引きを決心されました どこかに継ぎ足して縫い合わせられるよう
大しめ縄新調「大遷宮に」
出雲大社(出雲市大社町)の神楽殿に設置する国内最大級のしめ縄が飯南町で製作されている。地元の「頓原しめ縄クラブ」が稲わら約5トンを使い、長さ13・5メートルに仕上げる。 7月8日の完成に向け、作業が大詰めを迎えた。 旧
国引き神話
『出雲国風土記』の最初、「意宇郡(おうぐん)」の冒頭に、出雲国の成り立ちが書かれています。いわゆる、「国引き神話」です。これは、 『古事記』や『日本書紀』には書かれていない、出雲独自の神話です。 『風土記』によれば、
知っておきたい豆知識。 手水舎って何?~名前の由来と起源
手水舎は、鳥居をくぐってすぐのところにある拝礼の前に手を洗い口をすすいで身を清める場所のことで、手を洗うことから、「てみずや」または「ちょうずや」と呼ばれています。 古来、神社に参拝する折、近くを流れる川の水や湧き水で
出雲・日御碕のマリンブルーの海と断崖を望む。
プチクルージング「グラスボート」 日御碕からは、マリンブルーの日本海の上、入り組んだ海岸線を船から眺める「グラスボート」(有料)も出航!ガラス製の船底から海底を眺めることもでき、潮風を体全体で感じながら、 ウミネコの里・
日御碕神社
神話の主人公を二つの宮に祀る 朱い楼門が鮮やかな「日御碕神社」 社殿は、徳川三代将軍家光公の命により再建された権現造りの建物で、国の重要文化財にも指定。、上の宮(神の宮:かむのみや)、下の宮(日沈宮:ひしずみのみや)とに
出 雲 神 話(しんわ)
神話は遠い遠い昔から私たちの祖先たちが言い継ぎ語り継いで生活の精神的ハシラとしました、 いわゆるイノリの物語であります。見えないものに生かされて生きる有難さを思う心のあらわれであります。 青森県国張遺跡は約4,000年も
出雲の注目スポット 熊野大社。
熊野大社 おまつりするかみさま) 伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ) 加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ) 櫛御気野命(くしみけぬのみこと) 「伊邪那伎日真名子」とは国生みを始めて生きとし生けるものを生かし、そ
出雲日御碕灯台
青空を背景に立つ白亜の灯台 明治36年(1903)年の完成で、高さ43.65㍍海面からの高さは63.3㍍ 内部も見学でき、螺旋階段を上がった最上階からは周囲360度を見渡すことが出来ます。 天気の良い日には、遠く隠岐に島
出雲の注目スポット 出雲阿国の墓。
出雲阿国の墓 伝説に満ちた出雲阿国を偲ぶ 歌舞伎の祖とされ、その生涯は謎に包まれいる出雲阿国の墓。 一説では出雲大社の巫女で、本殿修理費勧進の為諸国を巡り、晩年は大社に帰ったという。 今も、芸能・演劇関係者、歌舞伎ファン
出雲の注目スポット
旧大社駅 外観に加えて内部も必見! 旧国鉄大社駅の駅舎。1990年のJR大社線廃止まで出雲大社の玄関口だった。 建物は、大正13年(1924)に改築されたもので、純和風木造瓦屋根の堂々とした造り。 和風の灯籠型シャンデリ
因幡の白兎
大国主の別名、大穴牟遅神(おおあなむじなのかみ)には八十神と呼ばれる兄弟神がいた。彼らは、因幡の八上比売(やがみひめ)に求婚するため旅をしていた。 大穴牟遅神は皆の荷物を背負わされ、最後尾を歩いていた。 気多の岬で、サメ
出雲の縁結びスポット八重垣神社
日本神話を代表する夫婦神よ、良縁をお願い! 御利益信じて、池に浮かべた和紙で恋占い 日本の有名な神話「八岐大蛇(やまたのおろち)」はご存じですか? そう、生け贄を食らい人々を困らせていた、8つの頭と8つの尾を持つ巨大な大
神話の舞台、須我神社
須佐之男命と櫛名田比売が営んだ新居が起源のため「日本初之宮」と称され、また、その際に、歌を詠んだとされることから 「和歌発祥之地」ともされる。社殿脇から東北へ2㎞程は入ると、奥宮として磐座(夫婦岩)に対面できます。 新居
猪目洞窟。
幅約30㍍、奥行き30㍍の洞窟。「出雲国風土記」に記された「黄泉の穴(死者の国に通じる穴)は、この洞窟を指すと言われています。 発掘調査の結果、人骨や土器、木製品など弥生時代から古墳時代にかけての埋葬品や生活を知ることの
出雲大社 の由来。
『延喜式』神名帳には、杵築(kizuki)大社とあり、長くこの名で呼ばれてきました 1871年(明治4年)に出雲大社(ooyashiro)と改称されました。祭神は大国主命(ookuninushi_no_mikoto) 『
出雲大社の主な祭事。
【神在月(かみありづき)旧10月】 陰暦の10月を神無(かんな)月という。 全国の神々がみな出雲大社に集まり、国々では神さまが留守になるので、 むかしから10月を神無月というのだという。 そこで出雲では全国の神々が来られ
出雲大社の参拝ルート。
参拝ルート ①宇迦の大鳥居 ②