昔大社では、子供が産まれると鶴・亀の文字を大書した凧を稲佐の浜で上げる習慣があったそうです。 その祝凧を今も製造販売しているのが、祝い凧のお店高橋さんです。元々は、出雲大社宮司の千家と北島の両家に伝えられてきた凧で、 大
出雲大社本殿の天井絵
出雲大社(千家尊祐宮司、出雲市大社町) 本殿の天井にある「八雲之図」が、昭和の遷宮以来、約六十年ぶりに公開されました。。 「八雲」とされながら七つの雲が描かれ、多くの謎に包まれている同図をめぐり、注目が高まっている。 同
■恋が成就すると噂の「白いおみくじ」北島国造館
このおみくじは、なんと矢つき。おみくじと一緒に結ぶようになっています。このほか、恋みくじや絵馬などがありますが、 良く願いが叶うと噂になっていた白いお守りを購入してみて下さい。 北島国造館の前の通りは真名井社家通りといい
出雲大社北島国造家の歴史16
16.出雲国造家系譜 始 祖 天穂日命 第 2世 武夷鳥命(たけひなどり) 第 3世 伊佐我命 第 4世 津狭命 第 5世 櫛?前命(くしみかさき) 第 6世 櫛月命 第 7世 櫛?鳥海命(くしみかとりみ) 第 8世
北島国造家の歴史15
15.明治維新と出雲国造家 明治維新はわが神社界にとってもそれまでにない大改革をもたらしました。すなわち、神社の国家管理という基本方針のもとに次々と施策がうち出され、 それによって杵築大社改め出雲大社(明治5年太政官通
出雲大社北島国造家の歴史14
14.霊元天皇永宣旨の御下賜 寛文5年(1665)徳川幕府は全国の神職に対し「吉田家の許し(許状)を受けなければ正規の神職として認めず、神社の雑役人にその身分を下げる」旨の文書を示達いたしました。 この幕府の示達に対
出雲大社北島国造家の歴史13
13.寛文御造営にともなう屋敷替え 第66世恒孝(つねのり)国造が承応3年(1654)に国造職に就任された時代は、日本の政権は織田、豊臣を経て徳川氏に移り、出雲の国も徳川家康の孫、 松平直政が藩主として善政を敷き、名君と
出雲大社北島国造家の歴史12
12.資孝国造の出雲大社遷宮執行 第57世出雲国造資孝臣は、父貞孝の後継者として貞治3年(1364)国造職に就任いたしました。資孝国造は翌4年10月、目安言上書(箇条書きの文書)を将軍家へ提出しました。 その内容は、第
出雲大社北島国造家の歴史11
11.南北朝動乱と貞孝国造 第56世国造貞孝臣の在職中は、南北朝の争いの真最中でした。南朝・北朝その勢力は一進一退でしたが、興国4年(1343)の末より正平に及ぶ間は一時南朝がその勢力を回復し、 足利氏の内部では兄弟叔
出雲大社北島国造家の歴史10
10.出雲国造北島家の専掌祭事 出雲国造家が北島・千家に両立してから後の出雲大社の神事は、年中を6ヶ月ずつに分けて分掌することになりましたが、北島国造家は神在祭(かみありさい) の行われる10月を頭(かしら)に12・2
出雲大社北島国造家の歴史9
9.出雲国造家の通り名 出雲大社北島国造家は、安元2年(1176)に出雲大社の仮殿遷宮を斎行された第48世国造宗孝臣以来、通り名として「孝」(のり)を用いてきました。 現第80世建孝(たけのり)国造まで実に百数十年を数え
出雲大社北島国造家の歴史8
8.出雲国造家の家名 上代には姓氏はありましたが苗字(家名)はなく、出雲国造家は第17世宮向国造のとき出雲という姓氏を賜り、これを伝承してきました。中古に姓氏の他に苗字を用いる習慣が生じ、 苗字としてその家の家族が居住
出雲大社北島国造家の歴史7
7.出雲国造北島家と大庭の里 松江市大庭地区は「八雲立つ風土記の丘」があり、また旧国庁跡も発見されていて、出雲国の中心地であったということは定説となっています。出雲国造北島家では、 この大庭の地を出雲国造家発祥の地と伝
出雲大社北島国造家の歴史6
6.出雲国造家の分立 始祖天穂日命以来、第54世孝時国造まで出雲国造家は一統で続いてきました。時あたかも南北朝時代に及び、時代の風潮もあってか、第55世清孝国造の後をめぐって兄弟の間に争いが生じ、 以後北島・千家と分立す
出雲大社北島国造家の歴史5
5.建武中興と孝時国造 第54世国造孝時臣は父泰時国造から国造職を譲り受け、延慶元年(1308)その任に就き、29年間国造職を勤められました。 ちょうどこの頃の元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇は北条高時により隠岐
出雲大社北島国造家の歴史4
4.出雲大社神主職と検校職 出雲大社国造家の長い歴史のなかでは、いろいろな危機があったと思いますが、これから記す事件は一番大きな危機でした。 時代は平家が滅亡して源頼朝が幕府を開いた頃です。頼朝は平家との戦いに勝った
出雲大社北島国造家の歴史3
3.出雲国造神賀詞(かんよごと)の奏上 醍醐天皇の延喜の御世に定められた今でいう法令集は延喜式と呼ばれ、今でも歴史研究の上に大きな役割を果たしています。その延喜式の中に臨時祭式という項目がありますが、 それによって「出
出雲国造北島家の歴史
2.出雲国造の任命と国造家の姓(かばね) 天穂日命が出雲大社に御奉仕になって以来、その子孫が代々出雲大社の斎主として神勤奉仕なさっていましたが、第12世氏祖命(おほしのみこと)の代になって、 崇神天皇(すじんてんのう)
出雲大社国造北島家の歴史
1.出雲国造北島家の始祖 出雲国造北島家の始祖は、皇室の御祖(みおや)、天照大御神の第二の御子神の天穂日命(あめのほひのみこと)です。そして、北島家は天穂日命の後、 今の国造家の当主第八十世建孝(たけのり)国造に至るま
大山、大神山神社奥宮
偉大な神のおわす山~大神岳(おおかみのたけ)。古代の人々は大山のことをそう呼んで敬いました。 その大山信仰の中心が古代より延々と続く大神山神社です。 大神山神社の3つの“日本一” 1つ目は、大神山神社に続く道を自然石を