島根半島の中央部にあるのが出雲の国二宮、佐太神社です。古くから人々に深く信仰を受けていました。 本殿が三つあることでも知られた神社です。大差造りの社殿が三つ並んだ形になっています。 正面の正殿にはサダ・イザナミ・イザナキ
八重垣神社
出雲を訪れた多くの観光客が立ち寄る神社の一つです。 本殿の後ろにある鏡の池は、縁結びの池として人気があります。 この神社の創建の由来は、祭神がスサノオとイナタ姫ということから解るように スサノオの八俣の大蛇退治神話にある
須我神社
斐伊川上流で八俣の大蛇を退治したスサノオの命は、稲田姫と結婚し、新居にふさわしい土地を求めるうち「この地はすがすがしい」 という土地に巡り会います。それが須我神社が鎮座する須賀であったと「古事記」は伝えています。さらに新
日御碕神社
島根半島西端に位置し「出雲国風土記」には美佐伎社と記されている古社です。 アマテラスを祀る「日沈宮」(ひしずみのみや)とスサノオを祀る「神の宮」 という上下2社からなっています。両社を総称して日御碕神社と呼んでいます。
宇美神社
「出雲国風土記」に宇美社とある古社です。元は愛宕町の丘陵上にあり、廻大明神と呼ばれていましたが、中世には、熊野権現として、平田の 総氏社でした。江戸時代中期には、天満宮を境内内社とし、天神の神幸(おたび)が行われていまし
島根のわらべ唄
正月の神さん 正月の神さん どこまでござった 大橋の下まで 破魔弓を腰に挿いて 羽根板を杖にして えーいえとござった 正月の神様(歳徳神)は、海の彼方から川を経由してこの地にお年玉を持って訪問してくるとされてい
出雲の神社
出雲圏域(島根県東部)に現在でも存在している神社の総数は645社あります。 この数字は他の日本の地域と比較すると多いのか少ないのか解りませんが、地元の人により現在でも厚く信仰を集め守られ伝統を継承しています。  
平浜八幡宮・武内神社
この社を呼ぶのに、地元の人は平浜八幡宮よりは、「たけうっちゃん」の名前が一般的だそうです。夏休み最後の日8月31日が祭礼日で 平浜八幡宮は、京都の石清水八幡宮の別宮として創建され、八幡宮に残る古文書からは、出雲国最古の八
売布神社
城下町松江の新大橋南詰の近くにあり、「出雲国風土記」や「延喜式」のも登場する神社です。主祭神は、速秋津比売神です。 この神様は、海の守護神で有り、水上交通とも関わる重要な神様です。最初の鎮座地は、東来待の鏡(松江市宍道町
能義神社
能義神社は通称「能義大明神」と呼ばれ、「出雲国風土記」の野城社とされています。この野城大明神は、「出雲国風土記」に登場する 四大神の一柱だそうです。所造天下大神(大國主命)、熊野大神、佐太大神、そして野城大神であると為れ
出雲大社の参道
出雲大社(いずもおおやしろ)本殿への参道は、非常に珍しい下り坂の道です。玉砂利の参道両側は、黒松の古木とその背後の広々とした森に囲まれていて 歩む度に厳粛な気持が高まってきます。重厚な注連縄が吊り下がる拝殿は、その注連縄
神在り祭の出雲大社
毎年、神在り祭で多くの参拝者を集めるのが出雲大社です。毎年旧暦の10月10日の夜には「神在り祭」があり、近くの稲佐の浜から 全国からお越しの神様方をお迎えします。龍蛇様を先頭に神々が乗り移った「ひもろぎ」が絹垣に囲まれて
神在月の出雲
旧暦の」10月は全国的には「神無月」と呼ばれますが、全国から神々が集まる出雲では「神在月」と呼んでいます。 現在は、出雲市の「出雲大社」、「日御碕神社」、「朝山神社」、「万九千神社」、松江市の「佐太神社」、「神魂神社」、
佐香神社
出雲杜氏の信仰厚い酒造り発祥に地 「出雲国風土記」に楯縫郡(出雲市平田町の地区名)の記述には、佐香郷の地名の由来の説明として、多くの神々が集まり、調理場を建てて酒を醸造し 何日も酒宴を続けた後、解散したとある。 同郷にあ
鬼の舌震
ワニが姫を慕った渓谷 斐伊川の支流・大馬木川の中流部に、約2キロにわたって広がる渓谷です。「出雲国風土記」によると、ワニザメがこの地の鎮座するタマヒメノ命 という美しい姫を恋い慕って、日本海から斐伊川を上がってきたそうで
加賀の潜戸
金の矢を射通した洞窟 「出雲国風土記」で、佐太神社の祭神サダノ大神が生まれたと所と記されています。岬の先端にある海中洞窟は「新潜戸」と呼ばれ、母神の キサカヒメノ命が金の弓矢を射通して出来たと伝えられています。この時洞窟
玉作湯神社
玉作と温泉の神を祀られています。 「出雲国風土記」に(川辺に湯が沸き老若男女が遊楽した)との記述がある古湯、玉造温泉の旅館街南端にあり、神とされるクシアカルタマノ命、 国造りと温泉の神大國主命とスクナビコナノ神の3柱をお
佐太神社
12の神を祀る出雲三大社の一つ 「出雲国風土記」に登場するサダノ大神を始め、12の神々をお祀りする出雲三大社の内の一つです。本殿は大社造りが3つ並立する珍しい構造を 持ち、国の重要文化財に指定されています。 江戸時代は出
出雲国風土記の完成した時代
出雲国風土記が出来たのは、天平5(733年)です。当時の原本は残念ながら現存していませんが、150点余りの写本が現存し、様々な研究が 行われています。冒頭に記載されている、意字郡(おうのこおり)、現在の松江市南部~安来市
出雲国風土記
ほぼ完全な形の「地誌」 風土記は奈良時代の和銅6(713年)に出された政府の命令に基づき、国ごとに編纂された地誌です。細かな地名の由来や産物、動植物、伝承 などが記されましたが、比較的まとまった形で現在まで残っているのは