恒例祭典の中でも一般によく知られているのが、「神在り祭」です。これも、神様同士のお約束に由来するもので、目に見える世界は、天照大御神が 目に見えない世界は、大国主大神が司るというお約束で行われているそうです。目に見えない
出雲大社国造
現在の宮司さんは、第八十四代目です。代替わりの際には「火継ぎ神事」など多くの重儀を徹夜で行い新しい国造の襲職を発表してから、前国造の 帰幽を発表されます。これは、国造は生き続けるという信仰によるもので恒例祭典は当然ですが
出雲大社のお祭りとは
天穂日命の子孫、出雲国造によって古代より脈々と受け継がれている出雲大社のお祭り。これは全て天照大御神とのお約束事によるものです。 年間七十二回の恒例祭典があり、すべて宮司さんがご奉仕されます。 これは、天照大御神との大切
湊社(摂社)
御祭神は、櫛八玉神(くしやたまのかみ)。大国主大神が国譲りの後、出雲大社に鎮まれた際に膳夫となり大神に響応したという 食べ物の神様が祀られています。国造の火継式には、この神様をお祀りし祭事が執り行われます。
大歳社(末社)
本社の約9百㍍西、稲佐の浜に向かう道の傍らにこじんまりと鎮座しています。 御祭神の、大歳神は素戔嗚尊の御子神。 田圃や畑の守護神で、五穀豊穣を御守りになる神様です。
下宮(末社)
稲佐の浜の近くにあります。上宮の奥、大きな岩に囲まれるように小さなお社があります。御祭神は、天照大神で、皇室のご先祖神。 伊勢神宮内宮と同じ神様が祀られています。
上宮(摂社)
御祭神は、素戔嗚尊と八百萬の神様です。毎年旧暦の十月全国の神々がお集まりになる神在祭では、七日間このお社に神々が集まり 生きとしいけるものの「縁」を結ぶ神議(かみはかり)をされます。 &nbs
因佐神社(摂社)
御祭神の建御神雷神(たけみかづちのかみ)は天照大御神の使者として地上に降りられ、稲佐の浜で国譲りの話し合いをされた神様です。 受験・進学・勝負の神様として知られています。 地元では、「速玉」さんと呼ばれ親しまれています。
伊那西波岐神社(摂社)
出雲大社の裏の山を越え、日本海側のお社があります。御祭神は稻背脛命(いなせはぎのみこと)です。天穂日命の御子で、 大国主大神が国譲りの話し合いの際に、美保関の事代主神のもとに使者として奔走された神様です。
三歳社(摂社)
正式には、大穴持御子神社(おおなもちのみこのかみのやしろ)です。御祭神の事大主神と高日売命は大国主大神の御子神です。 三年神は素戔嗚尊の御孫神です。毎年正月三日の福迎祭では、参拝者は福柴をいただき、開運をお祈りします。
乙見の社(摂社)
正式名称は、大穴持御子玉江神社(おおなもちのみこのたまえのかみのやしろ)というかなり長い名前です。 御祭神の下照比売命は大国主大神と多紀理比売命の御子神で、女神ながら大国主大神の国土経営に力を尽くされたそうです。 国や家
阿須伎神社(摂社)
御祭神の阿遅須伎高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)大国主大神の長男神で国土創世や、農耕の神様です。 かつては、三十九社の阿受伎社があったと「出雲国風土記」には記されていますが、合祀された今は一つになっています。 &
出雲井神社(摂社)
御祭神の岐神(くなどのかみ)は、勇猛で地理に詳しかったそうです。大国主大神の国譲りの時に、大神の命により天照大神の使者の案内役として 諸国を巡り、国内の平定に力を尽くされたそうです。また、道路守護の神様です。  
神楽殿
境内の西の門を出て、素鵞川(そががわ)を渡ったところにあります。神楽殿の大広間は二百七十帖もあり、神迎え祭もここで執り行われます。 普段は、結婚式やご祈祷が行われています。 社殿の前の大注連縄は、長さ13㍍・太さ8㍍・重
出雲大社御神紋、二重亀甲剣花菱の由来
御神紋の「亀甲」は神意知るべく神聖な意味を持っているようです。「剣花菱」は出雲国造が祭事の際に着用する装束の紋と言われています。 その紋所は、亀甲形の内に八稜を形成するように剣花菱を放射状に配し、三種の神器(剣・鏡・玉)
祓社(はらいのやしろ)末社
出雲大社参道大鳥居先の東側にあるお社で、御祭神は祓戸四柱神です。四柱はあらゆる罪や、穢れを祓い去ってくれるありがたい神様です。 大社を参拝されるときには、まずここで心身を祓い清めて下さい。 &
命主社(いのちのぬしのやしろ)摂社
正式には、神魂伊能知奴志神社(かみむすびいにちのぬしのかみのやしろ)と言います。御祭神は、神産巣日神は天地開闢造化三神の一柱。 大国主大神が兄達の八十神から焼き石の難に遭われたとき、蚶貝比売命、蛤貝比売命の二神を降ろしに
お勧め参拝コース
勢溜まりの鳥居→祓社(心身を清めて頂ける四柱の神々がお祀りしてあります。)→松並木の参道(中央は通らず両端をお通り下さい。)→ 手水舎(御神前に進む前に両手と口を清める事を忘れずに。口をすすぐ際には、手のひらで水を受けて
政治家に転身した第80代宮司千家尊福公の像
出雲大社第80代宮司の銅像です。宮司職を退いてからは、埼玉、静岡、東京の知事、司法大臣もでも務めた人物です。 詩人・歌人としても有名で「年の初めの~」で始まる唱歌「一月一日」も尊福公(たかとみ)が作詞されたものです。 &
神馬・神牛(神様の乗り物)
銅の鳥居横の参道に「神馬」・「神牛」があります。1,667年防長二州の藩主、毛利綱廣公の寄進によるものだそうです。 京都の名工、名越弥七郎が制作しています。神馬は「かねうまさん」とも呼ばれ、子宝・安産の御利益があると伝え