☆ 勾玉づくり体験 ~神代から輝き続ける勾玉をあなたの手で!~ 申し込みが殺到する大人気の勾玉づくり体験! 神話のふるさとならではの体験できます。 【期間】 7月21日(土)~9月2日(日)までの毎日 9月8日(土)以
☆出雲古代歴史博物館
創作体験・ワークショップ 神話等にゆかりの様々な創作体験・ワークショップを実施します。 見るだけでなく、実際の創作体験を通じて、楽しく神話を感じることができます。 子ども向けワークショップ 神話フィギュアワークショッ
出雲大社の人気のお店。
オードリーさん ペルー帰りのご夫婦が経営するアルパカと雑貨のお店。出雲大社のすぐそばに何故アルパカ?何故オードリー?と気になりますが、 お店に入ってみると、かわいくてカラフルなアルパカ素材のセーターやジャケット、バッグ、
出雲大社稲佐の浜
古事記では、国引き神話や国譲りの話で有名な所ですが、 稲佐の浜で神々をお迎えする神迎祭が執り行われた後、竜神様を先導に八百万の神々が出雲大社へと向かわれます。 この稲佐浜から出雲大社へと神々がお通りになられる道を「神迎の
連歌庵と出雲の阿国の墓
歌舞伎の創始者とされる出雲阿国は、出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の娘で、出雲大社の巫女だったと言われています。 晩年は故郷である大社に帰ってきて尼となり、連歌庵で智月と称し連歌と読経の日々を送ったとされます。男装で刀剣を持
社家の道
出雲大社を祀る神主は出雲国造(こくそう)と呼ばれ、千家国造家と北島国造家の2つの国造があります。出雲大社周辺には、 この千家国造家と北島国造家を中心とする神官の屋敷が建ち並んでいます。 北島国造家や千家国造家の前の通りは
一畑電鉄大社駅
JRとともにレトロな駅舎として親しまれているのが、一畑電鉄の出雲大社前駅です。 高いアーチ状の天井とステンドグラスが印象的。最近フランス料理のレストランが併設され、とてもおしゃれに変身しました。 午後10時まで営業してい
旧JR大社駅
純和風のレトロな建物でバランスもよくとても美しい建物です。JR大社線は、明治45年から出雲大社参拝客を乗せて長く賑わいましたが、残念ながら平成2年3月に廃止となりました。 私は線路がいよいよ撤去される前、友だちと4人でこ
出雲大社吉兆館
吉兆館は大社町の正月行事「吉兆神事」を中心とする、文化・歴史・伝統芸能などを展示しています。 私のおじいちゃんが作った「じょうき」も展示されていました。じょうきとは、大社のご縁祭り(8/15)で行列に使う灯籠船。元々は盆
知らなかった出雲大社の歴史
一月一日 年の始めの ためしとて お正月の歌 年の始めの ためしとて おわりなき世の めでたさを 『一月一日(1月1日)』は、1893(明治26)年に文部省より「小学校祝日大祭日歌詞並楽譜」の中で発表された唱歌。
ちょと気になる出雲大社のお店。
大社の町には、出雲そばのお店がたくさんあります。 でも今日は地元で人気の「きんぐ」の焼きそばをご紹介します。細めの麺にソースをかけて食べるのが、ちょっと変わっています。さっぱりした味で、 見た目は多そうでも意外とすんなり
出雲大社、鶴と亀の大凧
昔大社では、子供が産まれると鶴・亀の文字を大書した凧を稲佐の浜で上げる習慣があったそうです。 その祝凧を今も製造販売しているのが、祝い凧のお店高橋さんです。元々は、出雲大社宮司の千家と北島の両家に伝えられてきた凧で、 大
出雲大社本殿の天井絵
出雲大社(千家尊祐宮司、出雲市大社町) 本殿の天井にある「八雲之図」が、昭和の遷宮以来、約六十年ぶりに公開されました。。 「八雲」とされながら七つの雲が描かれ、多くの謎に包まれている同図をめぐり、注目が高まっている。 同
■恋が成就すると噂の「白いおみくじ」北島国造館
このおみくじは、なんと矢つき。おみくじと一緒に結ぶようになっています。このほか、恋みくじや絵馬などがありますが、 良く願いが叶うと噂になっていた白いお守りを購入してみて下さい。 北島国造館の前の通りは真名井社家通りといい
出雲大社北島国造家の歴史16
16.出雲国造家系譜 始 祖 天穂日命 第 2世 武夷鳥命(たけひなどり) 第 3世 伊佐我命 第 4世 津狭命 第 5世 櫛?前命(くしみかさき) 第 6世 櫛月命 第 7世 櫛?鳥海命(くしみかとりみ) 第 8世
北島国造家の歴史15
15.明治維新と出雲国造家 明治維新はわが神社界にとってもそれまでにない大改革をもたらしました。すなわち、神社の国家管理という基本方針のもとに次々と施策がうち出され、 それによって杵築大社改め出雲大社(明治5年太政官通
出雲大社北島国造家の歴史14
14.霊元天皇永宣旨の御下賜 寛文5年(1665)徳川幕府は全国の神職に対し「吉田家の許し(許状)を受けなければ正規の神職として認めず、神社の雑役人にその身分を下げる」旨の文書を示達いたしました。 この幕府の示達に対
出雲大社北島国造家の歴史13
13.寛文御造営にともなう屋敷替え 第66世恒孝(つねのり)国造が承応3年(1654)に国造職に就任された時代は、日本の政権は織田、豊臣を経て徳川氏に移り、出雲の国も徳川家康の孫、 松平直政が藩主として善政を敷き、名君と
出雲大社北島国造家の歴史12
12.資孝国造の出雲大社遷宮執行 第57世出雲国造資孝臣は、父貞孝の後継者として貞治3年(1364)国造職に就任いたしました。資孝国造は翌4年10月、目安言上書(箇条書きの文書)を将軍家へ提出しました。 その内容は、第
出雲大社北島国造家の歴史11
11.南北朝動乱と貞孝国造 第56世国造貞孝臣の在職中は、南北朝の争いの真最中でした。南朝・北朝その勢力は一進一退でしたが、興国4年(1343)の末より正平に及ぶ間は一時南朝がその勢力を回復し、 足利氏の内部では兄弟叔