1月26日は「出雲の日」 ご縁の聖地「出雲」の魅力を再認識し、「出雲」のさらなる発展を願う日ということで、1月26日が「出雲の日」に制定されています。 (※1=イ、2=ヅ(ツー)、6=モ(ム)で「出雲の日」
諏訪大社に祀られる建御名方神
御柱祭で知られる信濃国一の宮諏訪大社は「延喜式神名帳」には「南方刀美神社」として揚げられている古社です。 建御名方神と妃神の八坂刀売命の二神を祀っています。全国各地にある諏訪大社の総本山であり、国内にある最も古い神社の一
諏訪の侵入神である建御名方神
建御名方神が諏訪に入った時この地には、古来より諏訪地方を統べる神がいました。建御名方神と争いになり、戦いは建御名方神の勝利に終わり、敗北した土地神は諏訪地方の祭神の地位を建御名方神に譲り、支配下に入りこの地方の開拓の協力
御籠祭
御籠祭は、古くから行われてきた祭事で、毎年11月3日の夜、摂社の諏訪神が生島足島神社の本社へ移り、毎週御粥を炊いて生島足島神に献供される儀式で、翌年の4月13日まで続く神事であります。 七夜ごとの24回と12月31日・1
建御名方神の旅の行く末
出雲を追われた建御名方神が、諏訪まで追いやられたとしたら、どのようなルートを行ったのでしょうか。出雲の足跡は因幡から丹後・若狭へ行き越の国へと続いています。そして海路でさらに北上し信濃川を遡ったか、糸魚川近辺から陸路を取
建御名方神を祀る出雲の神社
銅剣・銅鐸などが大量に発見された斐川町の荒神谷遺跡周辺に「諏訪神社」がありますが、何でも後の時代(南北朝以降)に勧請されたようで出雲における建御名方神に結びつく伝承は、残っていません。奥出雲には、「建御名方神神社」があり
建御名方神とは
この名前は、古事記だけに登場し日本書紀には出てきません。越の国の伝承では、大国主神と奴奈川姫との間の御子神、という伝承が各地に残されています。しかし、古事記のは建御名方神の母神のことには全く触れていません。出雲国風土記に
信濃国の大国主神
出雲から日本海沿岸を北上し、越の国の信濃川を遡上するとそこは信濃国。出雲との接点は大国主神の御子、国譲りの談判の際唯一高天原軍勢に抗った建御名方神を介してものだけです。稲佐の浜での戦いに敗れた建御名方神は、日本海沿岸から
神仏習合・本地垂迹
神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で、平安時代に成立しました。その基礎には仏教以前の山岳信仰
山岳信仰と大国主神
大国主神の足跡を辿っていくときに不思議な符号がある事に気付きます。各地で見てきたその土地の開拓・平定の事跡が語られていること。 白山のような名だたる高山に大国主神が祀られていることが多い事。白山がそうであったように、山岳
菊理姫神社
七尾市若林町には、「菊理姫神社」があります。菊理姫を祀る神社は、白山系が多くその殆どが「白山神社」と称していますが、菊理姫を冠した神社は他にもあるのでしょうか。?古い社伝には、何も伝えていませんでしたが、神社の境内由来書
大国主神の足跡
海岸に近い白山から奥地に入り富山市の旧山田村に行くと、牛岳の頂上には牛嶽神社の奥の宮があり、大国主神がお祀りされています。この山の麓の山田地区には多くの牛嶽神社が点在しています。「越の国を平定した大国主神が、出雲の国に帰
大汝峯・大汝神社
白山比咩神社の奥の宮がある白山に連なる白山三峯のひとつ、大汝峯の頂上に大汝神社があり大国主神が祀られています。 大汝は大己貴神、即ち大国主神のことで、その名を冠する山に大国主神が鎮座し、菊理媛が祀られる白山に寄り添ってい
加賀国一宮白山比咩
この菊理媛ですが、加賀国一の宮白山比咩神社の祭神「白山比咩」と同一神とされ、全国に展開する白山神社の祭神としてお祀りされています。白山を御神体とし、「いのつの祖神」と仰ぐ白山比咩を奉斉し、イザナギ命、イザナミ命との三神で
白山比売神社・菊理姫
この地域に登場する神話の上の女神は菊理媛と言います。この媛は日本書紀に一度だけ登場する女神で、由緒ははっきりしませんが、イザナギの命が 黄泉の国にイザナミ命を訪ねた折、結局逃げ帰る場面でチラッと登場します。二神が黄泉比良
お熊甲祭り
毎年9月10日に行われるこの祭りは、七尾市中島にある久麻加夫都阿良加志比古神社の大祭です。 渡来系と思われる阿良加志比古神を祭神として祀り、越後国一の宮気比神社でも祭られている新羅系の渡来神渡来神都努加阿羅斯止神を配祀し
北陸における出雲勢力
考古学的観点から見るとこの地に四隅突出型墳丘墓が点在していることに注目されます。四隅吐出型墳丘墓とは、弥生時代中・後期に山陰地方によく見られます。山陰地方でよく見られる墳丘墓で、方墳の四隅突出している独特の形式のものです
国土開発協力者 少彦名命
平国祭の立ち寄り処である宿那彦神石神社の祭神少彦名命が巡回に同行すると言うことは、古事記に大国主神の国土平定や、国土経営の協力者として少彦名命が記されていることは、大変興味深い事です。 中能登の能登生玉比古神社の社伝によ
平国祭(きにむけさい)
能登の国残る大国主神の国土平定にまつわる伝承です。この周辺は後に朝鮮半島からの渡来人達が、お祀りしたと思われる韓神神社が多く見られます。朝鮮半島との密接な関係がうかがえますが、それよりも以前に進出して来た、出雲の勢力の痕
越の国の大国主神
日本海沿いに北陸に延びる大国主神の足跡。越の国、能登現在の石川県に残る伝承と出雲との関係について考えてみましょう。 古事記には、この地域に関連する記事は、記されていません。また、出雲国風土記にも「古志郷」の地名由来説明で