葦原中国の平定に尽力し、地震を制御する神様。 建御雷神は、伊邪那岐命が火の神・迦具土神の首を切り落とした際、流れ出した血から生まれた剣の神様です。武道場では 神棚などに、中央に天照大御神、右に建御雷神、左に
宇迦之御魂神(田の神)
五穀豊穣をもたらす食べ物を司る神様。宇迦之御魂神の「宇迦」とは「食」の意味で、その稲の精霊「稲
八幡神(最も多くまつられる神様)
八幡神は、十五代応神天皇(誉田別命)のことです。平安後期の歴史書「扶桑略記」では、欽明天皇の御代(六世紀)に 大分県宇佐に八幡神が現れ、「我は十五代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩なり」と名乗ったと伝えられて
住吉神(海の神様)
住吉神は、黄泉の国から帰った伊邪那岐命が穢れを祓うために行った禊によって生まれた神様です。水底ですすぐと底筒男命 が、水中ですすぐと中筒男命が、水面でそそぐと表筒男命が生まれたとされています。住吉神はこの三神の総称です。
菊理媛神(山の神)
石川県にある霊峰・白山を御神体とする白山比咩神社の御祭神として知られています。白山比咩大神、白山媛命といった 別名を持ち、全国の白山神社
熊野神(山の神)
「蟻の熊野詣で」と言われた山岳信仰の聖地・熊野 熊野神は、ユネスコ世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成で資
日本に住まう神様
大山昨神(おおやまくいのかみ) 国土を切り開いて開発した「山王」と称される神様 山末之大主神という別名を持つ大山昨神は、最も有名な霊山の
大国主命
葦中原国を発展させた大国主命は、「大黒様」としても知られています。「古事記」「日本書紀」に於いても突出して記述が多い。 大国主命は出雲の地に降り立った素戔嗚尊の子孫として伝えられている神様で、出雲大社の御祭神として知られ
神々が降り立った地 高千穂
日本の萌芽が生まれた天孫降臨の地・高千穂 高千穂の名が初めて登場するするのは、「古事記」における天孫降臨の場面です。いまだ治まらない地上世界・葦原中国を見た天照大御神は、自らの孫である瓊瓊杵尊に葦原中国を治めるよう命じま
日本武尊
日本武尊は景行天皇の第二皇子として生まれました。小碓命という名前でしたが、まだ青年の時に九州の熊襲健兄弟の討伐に向かわされます。 小碓命は女装して宴に忍び込み二人を討ち倒しました。死に際に小碓命の武勇を称え日本武尊の名を
神武天皇
降臨した瓊瓊杵命は日向の統治に力を入れました。そして瓊瓊杵命の曾孫、つまり天照大御神から数えて六代目にあたる天武天皇は、葦原中国を平穏にするため、東を目指し大和を統治する必要あると考えました。大和国生駒でこの地を支配する
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
地上世界の統治を任された天照大御神の孫 大国主命が国譲りに合意したため葦原中国の統治にいよいよ乗り出します。そこで白羽の矢が立ったのが、天照大御神の孫に当たる瓊瓊杵尊でした。 天照大御神は瓊瓊杵尊に対し、三つの神勅(命令
大国主命
葦中原国を発展させた大国主命は、「大黒様」としても知られています。「古事記」「日本書紀」に於いても突出して記
天手力雄神と諸神
高天原の神々が集結した天照大御神の天岩戸隠れ 伊邪那岐命は三貴神を産んだ後、それぞれに高天原、夜の国、大海原
伊邪那岐命・伊邪那美命
 
素戔嗚尊
出雲へ降りた大海原の神様。 あれた乱暴者として高天原を追放される一方、八俣大蛇退治、日本初の和歌の制作など、英雄・文人とし
月読尊
「三貴子」は、イザナギノミコトが黄泉国から逃げ帰った後に、穢れを祓うために小さな入り江で禊ぎをした際に 生まれたとされています。左目を洗うと天照大御神が、右目を洗うと月読尊が、最後に鼻を洗うと素戔嗚尊が生まれました。 イ
天照大御神、日本の総氏神
高天原と呼ばれる天上世界を統治する最高神。皇室の祖先神としてのみならず、すべての日本人の総氏神様としても 尊敬されています。日本で最も尊
丹波国の大国主神
現在の亀岡市を中心とする亀岡盆地周辺には土地の開発に関して大国主神に関した伝承が数多く残されています。観光で有名な保津川(桂川)の開拓などに出雲の力が大きく関与したことを覗わせています。
天日槍命
天日槍命は新羅の国の王子で、日本に渡って来た渡来神です。偶然手に入れた赤い玉から化身した阿加流比売を妻とします。 おごった心の夫の怒りを受け、妻は小舟に乗って日本に渡ってしまいました。悔いた天日槍命は妻の後を追いますが海