隠岐島の【自然・景観】 島の周囲には名勝国賀海岸(西ノ島町)を代表する高さ100mから257m(海蝕崖日本一の摩天崖)に及ぶ 断崖絶壁と奇岩怪礁が紺碧の海に映えて、豪壮で且つ雄大な景観は朝鮮海峡から吹きつける 冬の荒波
隠岐島への 【アクセス】
○航空路で 島後に隠岐空港があり、直行便は島根県出雲空港と大阪伊丹空港から毎日1往復の定期便が就航しています。 出雲空港からは約30分、大阪伊丹空港からは約1時間です。 米子空港から連絡バスで境港、もしくはタクシーで七類
島根県隠岐郡隠岐の島町
見所一杯、食べて大満足隠岐観光情報!! 隠岐の島は、島根半島の北方約50kmに位置し、大小約180を超える島で構成される群島で、 島根県隠岐郡に所属しています。 島後水道を境に、知夫里島(知夫村)・中ノ島(海士町)・
隠岐の島出身の有名人
隠岐の海歩 大相撲力士。昭和60年7月29日、隠岐郡隠岐の島町に生まれています。 平成17年八角部屋から初土俵し、平成22年3月場所で初入幕。 島根県出身の力士の入幕は88年ぶりです。 最近は、ご存じのように着実に力を付
キンニャモニャ祭
海士町の民謡「キンニャモニャ」を踊る、町最大のイベント。 1000人規模のパレードや水中花火が行われます。 8月の第4土曜日が開催日で毎年大阪や東京など島外からの踊り手が殺到します。 色とりどりの衣装に身を包んだ踊り子の
隠岐産黒曜石
西条盆地では後期旧石器時代後半~縄文時代前期の出土例が確認されいますが、 きわめてわずかであり、いずれも製品であることや。贈与や交換によって遠隔地を運ばれたものと思われます。 ちなみに隠岐島から西条盆地までは直線距離で2
隠岐産黒曜石
黒曜石は、火山の爆発によって噴出したマグマが急速に冷やされて出来た物です。 特定の場所にしか産出しません。日本における原始時代の黒曜石の産出地は 北海道白滝村や東京都伊豆諸島神津島や長野県の和田峠そして隠岐島、大分県の姫
「隠岐国分寺蓮華会舞」(おきこくぶんじれんげまい)
平安時代から継承され、国の重要無形民俗文化財に指定されている貴重な伝統芸能です。 毎年弘法大師の命日にあたる4月21日、隠岐国分寺本堂前庭の特設舞台で奉納されていますが、惜しくも2007年2月、 隠岐国分寺本堂で起きた火
隠岐島の牛突き
≪強い牛を育てる≫ 強い突き牛を育てるには、まず、子牛選びが重要であるといわれています。その条件は、隠岐の突き牛育ての名人いわく、「目が小さく輝いていること。 首筋か太く長いこと。足の関節の間が長く太いこと。角が太く長
隠岐島の牛突き
≪牛突きの起源≫ 流人の島として名だたる要人を迎えていた隠岐島に、1221年(承久3)、後鳥羽上皇が御配流になられた時のことです。 島前の中ノ島(現在の海士町)の牧畑で、上皇は子牛が角をからませて戯れている情景をご覧に
隠岐古典相撲土俵の仕来り
1.土俵 四方に建てられた柱が役力士への賞与となる。四本柱は屋根を支えている表現であり、四季を表している。 相撲の規模により柱の数が8本・12本と多くなる。 2.土俵まで練り歩く それぞれの役力士は会場の近くに陣宿を設
隠岐古典相撲
隠岐の古典相撲は、神社の遷宮やトンネル完工など島をあげての慶事を祝うために行われています。 歴史は古く約300年前の神社改築の相撲奉納が始まりと伝えられ、一時は途絶えていたが、 昭和47年有志が「隠岐古典相撲」として再興
隠岐騒動
隠岐の国は中世以降、常に外部圧力によって支配され続けていました。江戸時代には幕府の天領に なり、松江藩預かり地として松江藩の郡代の支配下にありました。 1867年、隠岐出身の在京学者中沼了三の影響を受け尊王攘夷論が支持さ
観光スポット”パワースポット”
島根と言えばまず最初に思い浮かぶのが出雲大社と思いますが、最近は古社や神社遺跡なども パワースポットとして注目されています。自然信仰を背景にした古社は、元々その場所にある事 自体にに意味があります。御神体が木や石、山など
弁慶
浮浪に滝で修行した僧の一人が弁慶です。弁慶と言えば源義経の家来で、おとぎ話に出てくる人物として 有名ですが、豪傑ぶりでも名を知られた人物です。彼は平家を倒した後、東北に落ちる源義経に従い 衣川の戦いで義経と伴に戦死したと
鰐淵寺
出雲市にある鰐淵寺はいつ頃建立されたかは、はっきりされていません。後白河法皇が集めた今様の中に 「出雲の鰐淵や日の御碕」と歌われています。寺伝では、鰐淵寺の創建は推古天皇二年(594年)とされ 智春上人が浮浪の滝で祈って
美保神社
島根半島東端に位置する美保神社も興味深い社殿をしています。 美保神社が建立されている地は、古くから海上交通の重要な地として栄え、「出雲の国風土記」にも美保社 と記載されています。美保関の港に面して建設されている社殿は、い
佐太神社
島根半島の中央部にあるのが出雲の国二宮、佐太神社です。古くから人々に深く信仰を受けていました。 本殿が三つあることでも知られた神社です。大差造りの社殿が三つ並んだ形になっています。 正面の正殿にはサダ・イザナミ・イザナキ
神魂神社の本殿は、既存の最古の大社造り神社です
大社造りの社殿の代表は、出雲大社ですが、最も古い社殿は松江市にある神魂神社(かもすじんじゃ)です。 大社造りの特徴は、切り妻造り、妻入りの形式で地面からの社面までの柱が長くスマートな社殿が特徴ですが しかし、反面重心が高
八重垣神社の鏡の池
出雲を訪れた多くの観光客が立ち寄る神社の一つです。 本殿の後ろにある鏡の池は、縁結びの池として人気があります。 この神社の創建の由来は、祭神がスサノオとイナタ姫ということから解るように スサノオの八俣の大蛇退治神話にある