12の神を祀る出雲三大社の一つ 「出雲国風土記」に登場するサダノ大神を始め、12の神々をお祀りする出雲三大社の内の一つです。本殿は大社造りが3つ並立する珍しい構造を 持ち、国の重要文化財に指定されています。 江戸時代は出
出雲国風土記の完成した時代
出雲国風土記が出来たのは、天平5(733年)です。当時の原本は残念ながら現存していませんが、150点余りの写本が現存し、様々な研究が 行われています。冒頭に記載されている、意字郡(おうのこおり)、現在の松江市南部~安来市
出雲国風土記
ほぼ完全な形の「地誌」 風土記は奈良時代の和銅6(713年)に出された政府の命令に基づき、国ごとに編纂された地誌です。細かな地名の由来や産物、動植物、伝承 などが記されましたが、比較的まとまった形で現在まで残っているのは
高層神殿を裏付ける巨大柱
古事記」では、大国主命は国譲りの代償に、天つ神の御子が住むような立派な神殿を建てて欲しいと求めます。これが、出雲大社の起源だと言われています。 出雲大社は現在でも8丈(24㍍)の高さを誇る立派なものですが、平安時代の書物
出雲大社
縁結びの神、壮大な宮殿 「古事記」で大国主命の国譲りに伴って造営された壮大な宮殿が、出雲大社の起源とされています。「出雲国風土記」では、杵築大社(きずきのおおやしろ) と記載されています。主祭神の大国主命は七福神の大黒様
美保神社
海運の神「えびす様」を鎮座 大国主神の妻ミホツヒメノ神、第一の御子神コトシロヌシノ神をお祀りしてあります。 古事記では、国譲りを迫られた大国主命が、私ではなく、息子が答えます。と言い、副使アメノトリフネノ神が美保の崎に出
稲佐の浜
出雲大社へお集まりになる神々が上陸する海岸 古事記で、高天原からの使者、タケミカヅチノオノ神とアメノトリフネノ神が、葦原中国(あしはらなかつくに)を支配していた大国主命に、 国譲りの相談をした場所と伝えられています。旧暦
国譲り
(あらすじ) 高天原の神々は、大国主命が治める葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定しようと、アメノホヒノ命やアメノワカヒコを遣わしますが 大國主命に次々と懐柔されます。高天原から様子を見に来たキジをアメノワカヒコが射殺
琴引山
祭祀の象徴「琴」ゆかりの山 島根県飯石郡飯南町の東側に位置し、標高1014㍍最近は人工降雪スキー場やキャンプ場、また温泉施設の完備した宿泊施設でも人気があります。 「出雲国風土記」にはこの山の峰に窟(いわや)があり、その
湯の川温泉
身ごもったヤカミヒメが疲れを癒したと伝えられています。 大國主命の子供を身ごもった因幡国のヤカミヒメが出雲国へ来る途中、湯に浸かって長旅の疲れを癒したとの伝承が残る温泉地です。 泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化
赤猪岩神社
落命した大神を鎮座する。 「古事記」によると、大國主命は八十神(やそがみ)の計略にはまり、山から転がり落ちてくる真っ赤に焼けた大岩を 猪と勘違いして抱き留め、焼死してしまいます。 大国主神が命を落とした「手間の山本」は現
御井神社
信仰厚い安産延命の神 ヤカミヒメが生んだコノマタノ神をお祀りする。「出雲国風土記」や「延喜式」にも記載さっれている古い神社です。 古い文献には、この地がコノマタノ神の出生地との伝承が書かれています。周囲に残る生井(いくい
大国主神
大国主神には八十神(やそがみ)と呼ばれる兄弟達がいました。オオクニヌシはその中でも末の弟でした。八十神達が因幡国の ヤカミヒメを妻にしようと連れだって出かけました。オオクニヌシも同行しましたが、荷物を持たされ、従者の様に
熊野大社
神位の高い「出雲国一宮」 出雲の国風土記を始め、多くの文献に記載が見られ、平安時代中期には、出雲国で最も神位に高い「出雲国一宮」とされました。 出雲大社と並ぶ大社(おおやしろ)としても、信仰を集め現在でも両神社の関係は深
日御碕神社
スサノオの命と姉神を境内にお祀りしてあります 「神の宮」にスサノオの命、「日沈宮」に姉神のアマテラス大御神がお祀りしてあります。言い伝えによりますと、スサノオの命が 「私の魂はこの柏の葉の留まる所に鎮まろう」と葉を投げ、
韓竈神社
岩壁に囲まれた小さな神社 地元・唐川地区では「かんかまさん」と呼ばれている神社です。創建年代は不明ですが、「出雲国風土記」733年には韓銍社(からかまのやしろ) 「延喜式」927年にも韓竈神社の名前が記されています。主祭
八重垣神社
スサノオの命が詠歌から命名した神社 出雲を訪れた多くの観光客が立ち寄る神社の一つです。 本殿の後ろにある鏡の池は、縁結びの池として人気があります。 この神社の創建の由来は、祭神がスサノオとイナタ姫ということから解るように
須我神社
八雲立ち昇新居の地 「古事記」によると、大蛇退治をしたスサノオの命は、妻のクシナダ姫と共に、新居の地を探し、見晴らしの良い場所にたどりつきました。 スサノオの命は、私は、ここに来て心がすがすがしくなったと言い、宮を造りま
須佐神社
スサノオの命終焉の地 出雲国風土記では、スサノオの命が御魂をとどめおいた終焉の地そ紹介されています。スサノオの命はこの地を訪れ「この国は、小さいけれど 良い国なので、自分の名前は岩や木などに付けず、この土地に付ける」と言
天が淵
斐伊川上流の大蛇の住みか 出雲湯村温泉にほど近い国道314号線沿いの斐伊川上流にあり、八俣の大蛇の住みかっだとの伝説が伝承されています。 「古事記」や「日本書紀」には詳しい記述はありませんが、1523年に記された「雲州樋