出雲から日本海沿岸を北上し、越の国の信濃川を遡上するとそこは信濃国。出雲との接点は大国主神の御子、国譲りの談判の際唯一高天原軍勢に抗った建御名方神を介してものだけです。稲佐の浜での戦いに敗れた建御名方神は、日本海沿岸から
神仏習合・本地垂迹
神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で、平安時代に成立しました。その基礎には仏教以前の山岳信仰
山岳信仰と大国主神
大国主神の足跡を辿っていくときに不思議な符号がある事に気付きます。各地で見てきたその土地の開拓・平定の事跡が語られていること。 白山のような名だたる高山に大国主神が祀られていることが多い事。白山がそうであったように、山岳
菊理姫神社
七尾市若林町には、「菊理姫神社」があります。菊理姫を祀る神社は、白山系が多くその殆どが「白山神社」と称していますが、菊理姫を冠した神社は他にもあるのでしょうか。?古い社伝には、何も伝えていませんでしたが、神社の境内由来書
大国主神の足跡
海岸に近い白山から奥地に入り富山市の旧山田村に行くと、牛岳の頂上には牛嶽神社の奥の宮があり、大国主神がお祀りされています。この山の麓の山田地区には多くの牛嶽神社が点在しています。「越の国を平定した大国主神が、出雲の国に帰
大汝峯・大汝神社
白山比咩神社の奥の宮がある白山に連なる白山三峯のひとつ、大汝峯の頂上に大汝神社があり大国主神が祀られています。 大汝は大己貴神、即ち大国主神のことで、その名を冠する山に大国主神が鎮座し、菊理媛が祀られる白山に寄り添ってい
加賀国一宮白山比咩
この菊理媛ですが、加賀国一の宮白山比咩神社の祭神「白山比咩」と同一神とされ、全国に展開する白山神社の祭神としてお祀りされています。白山を御神体とし、「いのつの祖神」と仰ぐ白山比咩を奉斉し、イザナギ命、イザナミ命との三神で
白山比売神社・菊理姫
この地域に登場する神話の上の女神は菊理媛と言います。この媛は日本書紀に一度だけ登場する女神で、由緒ははっきりしませんが、イザナギの命が 黄泉の国にイザナミ命を訪ねた折、結局逃げ帰る場面でチラッと登場します。二神が黄泉比良
越の国の大国主神
船で出雲を出発し日本海を北上すると、先ず大山が姿を現し大きな目印の役目を果たしてくれます。さらに丹後・若狭過ぎて進むと白山・立山連峰が見え、その雄姿は日本海を沿岸を往来する古の航海者の格好の標識として映っていたでしょう。
お熊甲祭り
毎年9月10日に行われるこの祭りは、七尾市中島にある久麻加夫都阿良加志比古神社の大祭です。 渡来系と思われる阿良加志比古神を祭神として祀り、越後国一の宮気比神社でも祭られている新羅系の渡来神渡来神都努加阿羅斯止神を配祀し
北陸における出雲勢力
考古学的観点から見るとこの地に四隅突出型墳丘墓が点在していることに注目されます。四隅吐出型墳丘墓とは、弥生時代中・後期に山陰地方によく見られます。山陰地方でよく見られる墳丘墓で、方墳の四隅突出している独特の形式のものです
国土開発協力者 少彦名命
平国祭の立ち寄り処である宿那彦神石神社の祭神少彦名命が巡回に同行すると言うことは、古事記に大国主神の国土平定や、国土経営の協力者として少彦名命が記されていることは、大変興味深い事です。 中能登の能登生玉比古神社の社伝によ
能登の国の大国主神伝承
「太古に大己貴命(おなむちのみこと)出雲の国より因幡国気多崎に至り八上姫の許に通い、それから当所にお出になった」 とし、その時菓子餅を持って饗応して「末永くこの地に留まって国土人民を護って欲しい」と頼んだ老翁夫婦が、実は
鵜祭り
もう一つは、鵜祭りです。七尾市鵜浦にある御門主比古神社と気多大社との間で執りおこなわれる真冬の神事です。 鵜浦の鵜捕部という特殊な民が鵜浦で捕獲した鵜を気多大社に献上し、その年の鵜の動きで作物の豊凶を占います。 その起源
平国祭(きにむけさい)
能登の国残る大国主神の国土平定にまつわる伝承です。この周辺は後に朝鮮半島からの渡来人達が、お祀りしたと思われる韓神神社が多く見られます。朝鮮半島との密接な関係がうかがえますが、それよりも以前に進出して来た、出雲の勢力の痕
越の国の大国主神
日本海沿いに北陸に延びる大国主神の足跡。越の国、能登現在の石川県に残る伝承と出雲との関係について考えてみましょう。 古事記には、この地域に関連する記事は、記されていません。また、出雲国風土記にも「古志郷」の地名由来説明で
翡翠を求めた娶いだったのか
この恋愛話の意味するところですが、古代の結婚が政略結婚であり征服、服従関係のなりたちであると考えると、大国主神 は、何を求めてこの地にやって来たのでしょうか。越の有力者の娘、奴奈川姫を娶って勢力を伸ばしてきたと考える図式
出雲の奴奈川姫伝承
出雲地域でこの奴奈川姫の伝承に触れることは非常に少なく「美保神社」に配祀神として上げられていることと、出雲国風土記に「大国主神が高志の国の奴奈川姫と結婚して御穂須須美命が生まれ、美保神社に鎮座」したと記されているくらいで
奴奈川姫への求愛
古事記では、現在の新潟県糸魚川周辺に勢力を持っていた一族の姫奴奈川姫のに、八千矛神(やちほこしん)という名前で登場する大国主神が 娶いをかけたという恋愛物語が伝わっています。奴奈川姫との間で交わされた歌を通して二神の熱烈
古代祭祀器具としての玉
古代出雲の玉作り工房としては玉作湯神社周辺の遺跡が有名ですが。工房跡、玉の未完成品や砥石、穴を開ける鉄製工具などが出土し、 勾玉や管玉などの玉類が大量に出土しています。これらの工房の原石は近くの花仙山から掘り出した物で、