石上神社(島根県出雲市塩津町279) 延喜(901~923年)以前からある神社です。 古名は宇美神社。地元では、「スサノオ誕生の地」と伝えられています。 神社関係の資料では、それを否定していますが、学問の世界は無視してい
須我神社(雲南市大東町須我)
ここでスサノオの話は終わります。そして、この後、これまでの話とどうつながるのか何の説明もなく、いきなりオオクニヌシの物語が始まります。 スサノオとイナダ姫の新居跡に建てられました。
八口神社(雲南市木次町西日登)
酒を入れた「壺」(口径約17㎝、腹径約20㎝、高さ約15㎝)が埋められていると伝えられており、「壺神」様として大事にされています。 「槽」と「壺」どちらが大蛇退治に使われたのでしょうか? スサノオが酔い潰れた大蛇を斬り殺
八俣の大蛇
鳥髪を降りたスサノオは、川を流れる箸を目にします。人がいることを知ったスサノオが上流に行くと、老夫婦と少女が泣いています。 理由を聞くと、「私には娘が八人いましたが、毎年八俣の大蛇が襲ってきて食ってしまいました。今年もそ
アマテラスとスサノオ~八俣の大蛇編~
高天原を追放されたスサノオは、出雲の國の肥の河の上流の鳥髪ち(船通山)に降り立ちます。その位置は、黄泉比良坂から真南に直線距離で30㎞の地点、徒歩で一日以内のところです。つまり伊賦夜坂をどんどん南に登った、一番高いところ
アマテラスとスサノオ~天上界が舞台~
「スサノオの神やらひ」 追放命令を受けたスサノオは、国を出る前に姉のアマテラスに挨拶に行きます。 ところが、どう間違えたのかアマテラスは、スサノオが高天原を乗っ取りにきたと誤解し、臨戦態勢で待ち構えます。 天上界を委任さ
禊祓と三貴子
この禊祓で多くの神が生まれました。 最後に左目を洗うと、アマテラス 右目を洗うと、ツクヨミ 鼻を洗うと、スサノオが生まれました。 この三柱を三貴子といいます。 イザナギは、三貴子の」誕生を喜び、アマテラスには「高天原」
イザナギイザナミ「禊祓と三貴子」
黄泉の国から現世に戻ったイザナギは、死者の国の穢れをを洗い流します。 これが、禊祓で、その場所は「竺紫(チクシ)の日向の橘の小門の阿波岐原」です。 竺紫は九州です。日向は、日向の国(宮崎県)説と、日に向かう地であって特定
イザナギとイザナミ「黄泉の国」編
松江市東出雲町付近は、黄泉の国 妻を亡くしたイザナギは荒れます。そして「イザナミに会いたい」と、死者の行く黄泉の国(地下の死者の世界) へ向かいます。 イザナギは、「国作りがまだ終わっていないから、現世に帰っておいで」と
イザナギとイザナミその2
C 母塚山(鳥取県西伯郡南部町)-標高276m 母の塚のある山です。母とはスサノオの母イザナミ、塚とはお墓のことで、実は比婆の山であるとの言い伝えが あります。山頂からの見晴しは素晴らしく、町誌には「イザナミを祀る神社が
イザナギとイザナミ~山陰地方が舞台~
「オノゴロ島」「二神の国生み・神生み」「火の神カグツチ」 イザナギとイザナミは、天の神(天上界の神)から「このふあふわした国土を、きちんとしたものにせよ」と委任されます。これが日本史上最初の、男女協働です。二人は、天の沼
天地の初め~すべての幕開け、舞台は宇宙~
上巻の始まりは、天と地が分離する頃です。 つまり、地球誕生の頃という事になります。 なぜ、その頃突然高天原に(天上界)に、天地を主宰するアメノミナカヌシ 万物の生産をつかさどる、タカミムスヒとカムムスヒの三柱が現れます。
大国主と白兎のお話。
その頃、因幡と出雲を結ぶ路があったことを示しています。 今の鳥取市から出雲市までです。当時の海岸線は、場所によっては今よりずいぶんと内陸に入り込んでいたようです。 現在一般的に使われている道路から受ける山陰の印象とは、ま
古事記編纂1300年記念企画!!
神話と聞くとすぐに思い浮かぶのが、古事記です。 皆さんも、多分そうだと思います。 古事記は、当時権力を掌握し始めた大和朝廷が、日本の国をまとめ上げ、統一の正当性を証明しようとした書物の一つです。 各地の部族や集団の言い伝
出雲大社 素鵞社(そがのやしろ)
出雲大社御本殿の後北、八雲山の麓に南向きに鎮座している境内摂社で、【素戔嗚尊(すさのおのみこと)】が祀られています。 【天照大御神(あまてらすおおみかみ)】の弟神で、出雲神話【八岐大蛇退治】で有名な神様です。 出雲国に天
出雲大社の代表的おみやげ。
出雲大社のお土産や名物についてご紹介したいと思います。 取り合えず、出雲大社や島根県に来たなら「出雲そば」は必ず召し上がって欲しいものです。そして、以外と知られていないのが、お菓子です。 【 出雲大社周辺のお土産や名産品
出雲そば庄たまき
出雲蕎麦とは 元正天皇がそばを国の食糧対策の一環として公式に取り上げたことにより、その頃から出雲地方でもそばの栽培が始まったようですが、本格的に出雲地方にそばが文化として根付いたのは江戸時代になってからのようです。 信州
16世紀の巨大神殿
高さ16丈(48メートル)の巨大神殿であったことが、平安時代中頃(970年頃)の大建造物を詠む「運太、和二、京三」の「口遊 」や「天下無双の大厦、国中第一の霊神」「1143」年の「在庁官人解状」などの当時の記録からうかが
出雲蕎麦(割子そば)
出雲蕎麦は信州そばに近くそばの殻も一緒に挽いているので、色が黒いです。 そば独特の香りは強いと思います。 器に直接だし汁をかけて頂きます。 蕎麦湯に少しだけだし汁を入れて飲むと美味しいです。 一人前3段が基本ですが、2人
おみくじ・お守り。
出雲大社向かって右側に北島国造館があります。 こちらのおみくじと絵馬は、他の神社と違っています。 ハートの形の絵馬に、矢の形のおみくじです。 日御碕神社のおみくじは、達磨の形をしています。 記念にお求めしてみて下さい。