901年、菅原道真は藤原氏の陰謀で「謀反(むほん・反逆のこと)の疑いがある!」という無実の罪で九州の「大宰府(だざいふ)」に左遷されてしまいます。
そして自分の無実が証明されることと国家の安泰を願って「天拝山(てんぱいざん)」という山に登り、天の神々にお願いし、この時に神様から「天満大自在天」の称号を得たとも言われています。
しかしその願いも空しく、菅原道真は京都に戻れないまま失意の内に亡くなってしまいます。享年59歳。
ちなみに亡くなったのは誕生日と同じ2月25日だそうです。
そして菅原道真の遺体は牛車に乗せられて大宰府の北東の三笠郡の辺りに運ばれることとなりましたが、遺体を運んでいる牛が途中にあった「安楽寺」の前で突然動かなくなります。
その場にいた菅原道真の弟子「味酒安行(うまさけのやすゆき)」は仕方なく遺体をその場に埋めて祠を建てて祀ることにします。
これが北九州にある「太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)」のもととなります。
そして菅原道真が死んだ直後、比叡山延暦寺の第13代座主(ざす・一番偉い坊さん)「法性房尊意(ほっしょうぼうそんい)」の目の前に菅原道真の霊が現れ、「今から私を左遷に追いやった者達へ復讐
のために祟りに行きますが、もしそれらの者達があなたに助けを求めてきても応じないでください。」と告げます。
困った法性房尊意は、「しかし天皇が直々に3回もお願いしにいらっしゃれば応じない訳にはいきませんよ。」と冷静に答えます。
それを聞いた菅原道真の怨霊はもっともなことだと返事に困ってしまったので、法性房尊意は菅原道真の気持ちを鎮めるためにザクロの実を道真に食べさせますが、菅原道真は食べたザクロを炎にして
吐きだし、自分の怒りをあらわにしたそうです。

 

 

都中を恐れさせた菅原道真公