「古事記」「日本書紀」において初めて「角力(相撲)」「力士」の文字が登場しますが、野見宿禰と当麻蹴速の対決です。
大和国の勇士、当麻蹴速が生死を問わない勝負を求めたため、第十一代垂仁天皇は、出雲国にいた勇士、野見宿禰を呼び野見宿禰と当麻蹴速は史上初の天覧相撲を行い、これが相撲の始まりと伝えられています。勝負は、お互い蹴り合う激しい
もので、野見宿禰が当麻蹴速の腰を踏み折って終わりました。当時の相撲は現在と異なり格闘技だったようです。
野見宿禰は、相撲の神様ととして現在でも信仰されています。垂仁天皇に仕え、それまで高貴な人物が亡くなると行われていた殉職の習慣の代わりとなるものとして、埴輪を考案しました。垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の際に初めて用いられまし。
野見宿禰は士師氏の姓を与えられ、以降代々天皇の葬儀を司ることになりました。
野見宿禰