降臨した瓊瓊杵命は日向の統治に力を入れました。そして瓊瓊杵命の曾孫、つまり天照大御神から数えて六代目にあたる天武天皇は、葦原中国を平穏にするため、東を目指し大和を統治する必要あると考えました。大和国生駒でこの地を支配する長髄彦と戦いました。兄の五瀬命が流れ矢に当たって死にます。最後に「天照大御神の子孫であるのに太陽に向かって戦うことは天の意思に逆らう事だ。」と言い残し亡くなりました。
そこで一行は、紀伊半島を回って熊野から長髄彦と戦いに望みました。天照大御神が足が三本ある八咫烏を道案内に送り込んだそうです。
金色の鳶が神武天皇の弓矢に止まり、金色に輝く光を放ちました。長髄彦の兵は目がくらみ、戦いは神武天皇の勝利に終わりました。
東征を終えた神武天皇は、終着地である大和の畝傍山に葦原宮を造営し、初代天皇に即位しました。こうして現在まで一二五代続く皇室の歴史がはじまります。
神武天皇