慶長8年(1603年)春に北野天満宮に舞台をかけて興行を行った。 男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じるもので、京都で大変な人気を集めたようです。
(同年5月には御所でも「かぶき踊り」を演じました。
阿国は四条河原などで勧進興行を行ったようで、阿国の踊りをややこ踊りとする他、念仏踊りと記した史料もあります。
阿国一座が評判になるとこれを真似た芝居が遊女によって盛んに演じられるようになり、遊女歌舞伎となりました。
このころの歌舞伎は、女性によるセクシャルなもので、儒学を重んじる徳川幕府などにより、女性による歌舞伎は禁止されました。
その後少年による歌舞伎が行われるようになりますが、衆道(男色)も盛んに行われた時代でもあり、少年である役者に手を出すものも後を絶たず、
今のような野郎歌舞伎(役者が全員成年男子)にかわったようです。
かぶき踊り