出雲地方には、「風土記」と一致する遺跡があちこちに存在します。学術的に検証された遺跡も沢山あります。
出雲国風土記」の正確さが解りますが、国庁の場所が江戸時代から様々な説があります。「出雲国風土記」には、飯梨川の野城橋から西に二十一里
で国庁の北十字街に至ると道のりの条に書かれています。国庁とは、国司が政事を行った役所の事ですが、ここを起点に色々な役所の場所が示されて
いるため、正確な所在地を解明しなくてはなりませんでした。手がかりが全くないため、幻の出雲国庁とも呼ばれていました。
昭和39年松江の郷土史家、恩田清さんが、江戸時代に書かれた「大草村検地帳」に(こくてい)と書かれた文字を発見し、それまでの研究と併せて
松江市大草町の六所神社付近と解明され、昭和43年から三年間発掘調査が行われ国庁の遺構が発見されました。
現在の風土記の丘公園です。
出雲国庁は何処にあったのか