当時の人々の暮らしが、「出雲国風土記」にに記述してあります。この頃、大化の改新以来進められてきた統一国家としての形が見えてきました。
首長や高級官吏は中央政府から派遣され、それまでの統治者だった国造は、行政から退き祭事だけを司りました。
当時の出雲地方は、約七十の郷・駅があったと記されています。一郷が五十戸が基本のようですから、一戸とは家族集団の事で、平均が25人程度
居たようですので、それを計算すると総人口は8万人~9万人と推測されます。奈良時代の日本の総人口は五百万人~六百万人と推測され、
首都である奈良の人口が二十万人位だったと考えられています。出雲地方も奈良時代では、大都市であったようです。
奈良時代「風土記」が伝える出雲地方