古墳時代前期から生産され少しずつ生産量は減少しますが、奈良・平安時代まで行われていました。鉄製工具による穿孔技術の採用や花仙山産の碧玉製勾玉の
生産といった出雲ブランドの誕生も古墳時代から見られます。
奈良県曽我遺跡などの畿内の玉作り遺跡へ花仙山産の碧玉が持ち込まれていたことが考えられます。出雲玉作集団と大和政権の交流が行われていたと
考えられます。延長五年(927)にまとめられた「延喜式」からは、毎年出雲で作られた玉が朝廷に進上され、宮中で行われる祭祀に用いられ
出雲の玉類を大和政権が特別なものとして扱っていたようです。
出雲における勾玉生産