出雲大社北島国造家の歴史7

7.出雲国造北島家と大庭の里  松江市大庭地区は「八雲立つ風土記の丘」があり、また旧国庁跡も発見されていて、出雲国の中心地であったということは定説となっています。出雲国造北島家では、 この大庭の地を出雲国造家発祥の地と伝

出雲大社北島国造家の歴史6

6.出雲国造家の分立 始祖天穂日命以来、第54世孝時国造まで出雲国造家は一統で続いてきました。時あたかも南北朝時代に及び、時代の風潮もあってか、第55世清孝国造の後をめぐって兄弟の間に争いが生じ、 以後北島・千家と分立す

出雲大社北島国造家の歴史5

5.建武中興と孝時国造  第54世国造孝時臣は父泰時国造から国造職を譲り受け、延慶元年(1308)その任に就き、29年間国造職を勤められました。  ちょうどこの頃の元弘2年(1332)3月、後醍醐天皇は北条高時により隠岐

出雲大社北島国造家の歴史4

4.出雲大社神主職と検校職  出雲大社国造家の長い歴史のなかでは、いろいろな危機があったと思いますが、これから記す事件は一番大きな危機でした。  時代は平家が滅亡して源頼朝が幕府を開いた頃です。頼朝は平家との戦いに勝った

出雲大社北島国造家の歴史3

3.出雲国造神賀詞(かんよごと)の奏上  醍醐天皇の延喜の御世に定められた今でいう法令集は延喜式と呼ばれ、今でも歴史研究の上に大きな役割を果たしています。その延喜式の中に臨時祭式という項目がありますが、 それによって「出

出雲 長浜神社の国引き神話。

国引き神話で有名な八束水臣津野命は「出雲の国は細長い布切れのような国だなあ・・・ 最初に国を小さく作りすぎてしまった。だから作り足して大きくしよう」と言われ、国引きを決心されました どこかに継ぎ足して縫い合わせられるよう

知っておきたい豆知識。 手水舎って何?~名前の由来と起源

手水舎は、鳥居をくぐってすぐのところにある拝礼の前に手を洗い口をすすいで身を清める場所のことで、手を洗うことから、「てみずや」または「ちょうずや」と呼ばれています。  古来、神社に参拝する折、近くを流れる川の水や湧き水で

出雲・日御碕のマリンブルーの海と断崖を望む。

プチクルージング「グラスボート」 日御碕からは、マリンブルーの日本海の上、入り組んだ海岸線を船から眺める「グラスボート」(有料)も出航!ガラス製の船底から海底を眺めることもでき、潮風を体全体で感じながら、 ウミネコの里・