オオクニヌシ「根の国訪問」後日誌

他方、因幡で婚約したヤガミ姫ですが、御井神社(出雲市斐川町直江)に消息が伝えられています。御井神社の由緒には、以下のように書かれています。 御井神社は、古事記及び風土記等日本最古の史書十三の文献に記された由緒ある神社であ

オオクニヌシ「根の国訪問」

オオクニヌシがスサノオのところにやってくると、娘のスセリ姫が対応します。 娘は一目惚れして二人は結ばれ、その後家の中に招き入れ、父親に紹介します。 スセリ姫とは、なんと積極的で、行動力のある女性なのでしょう。 ところでこ

オオクニヌシーヤソガミの迫害2-

B佐太神社(島根県松江市鹿島町佐蛇宮内) サダノオオカミ=サルタヒコとの説明があります。 しかし、この説は江戸時代の国学者が唱え、その後一般的になったそうです。 それ以前は別神と考えられていたそうです。出雲風土記はその件

オオクニヌシーヤソガミの迫害ー

手間での撲殺失敗を知ったヤソガミは、オオナムジを山奥まで追いかけ、今度は裂いた木の割れ目に挟んで殺します。 二度目の殺害場所は、分かりませんが母親が探し出して助けたと書いてあることから、そんなに遠方ではないと考えられます

スサノオと関係の深い神社(松江エリア2)

E  熊野大社(松江市八雲町熊野) 出雲国の一宮です。主祭神はスサノオですが。この神社の尊称の、カブロギ・クマノノオオカミ・クシミケヌノ・ミコトと書かれています。 右手に妻のイナタ姫を祀るイナタ神社、左手の母イザナミを祀

スサノオと関係の深い神社(松江エリア)

C  神魂神社(松江市大庭町) 本殿は、1346年に建立された最古の大社造りで、国宝に指定されています。神社の案内には「出雲国造の大祖アメノホヒが降り立ち創建した」 とあります。このアメノホヒは「スサノオとアマテラスの誓

オオナムジの死と蘇生の現場

B赤猪岩神社(鳥取県西伯郡南部町手間寺内) 古事記に登場する手間という地名は現在でも使われています。 この場所は、オオナムジが蘇り、後にオオクニヌシとなった生地として、戦前までは再生・蘇生の地として、多くの人が訪れていた

オオクニヌシ「因幡の白ウサギ」「ヤソガミの迫害」

オオクニヌシの説明は、「たくさんの兄弟がいましたが、皆この国をオオクニヌシの譲りました。その訳は、・・・」と始まります。 因幡の白兎 ヤソガミ(兄弟神達)は「因幡のヤガミ姫と結婚したい」と出かけますが、オオクニヌシ(この

スサノオと関係の深い神社(出雲エリア2)

G 日御碕神社(出雲市大社町日御碕) 出雲の国造りを終えたスサノオは、根の國の熊成る峰(熊野大社の南東3㎞にある天狗山)から柏の葉を投げて自らの魂を鎮める場所を占いました。 その葉の落ちた場所が日御碕の「隠ヶ丘」で、その

スサノオと関係が深い神社(出雲エリア)

F 須佐神社(島根県出雲市佐田町須佐) 古書に「諸国を開拓したスサノオが最後に手がけた場所、自信の名前を土地に付けた」とあり、スサノオの霊地とされています。 スサノオ・イナタ姫と、イナタ姫の両親アシナヅチ・テナヅチが祀ら