古くは、聖武天皇の時代(神亀元年西暦724年)に遠流の地として定められてからは、
 小野篁や後鳥羽・後醍醐両帝を始めとする、約3,000人余りの人が流され隠岐の文化形成に
大きな影響を与えたと言われています。
そのほとんどが牢獄に入ることなく、里人と共に暮らしてきたとも伝えられており、人情の島でもあります。

・民謡
 江戸時代に入りますと、北前船の西廻り航路の風待ち港として栄え、全国各地の文化が入り、
その代表的なものが「隠岐民謡」で、「しげさ節」を代表とする民謡が今なお10数曲唄い継がれるなど、
 民謡の宝庫でもあります。

隠岐島の【歴史・文化】