出雲大社国造、千家国造家には「金輪御造営差図」と呼ばれる本殿の設計図が遺されていました。
これによると、本殿の9本の柱はそれぞれ3本の柱を金輪で一本に束ねた形になっています。
この設計図は、本居宣長の「玉勝間」に載っており、早くからその存在は知られていたようです。
作成年度が記載されて居らず、いつの年代かは不明です。しかし平成12年に現在の本殿と拝殿がある場所
間の所から巨大な柱根が発見されました。これは、出雲大社が前年より地下室を造るために始めた事前調査により
発掘されました。出土した柱は直径が、1.3㍍で巨木を3本束ねて1本の柱にしています。
古代より言い伝えられていたことが、現実の物となりました。
この柱の伐採年度は13世紀初頭辺りとの測定結果があり、鎌倉時代初めに伐採されています。
出雲大社の神殿は何故このように高い神殿が必要であったのか、また謎が深まります。
出雲大社の巨大宇豆柱が発見される。