石見銀山(島根県大田市大森町)は、鎌倉時代の末期延慶二年(1309)大内氏によって発見されたと伝えられていますが、
本格的に開発されたのは、大永六年(1526)博多の豪商神屋寿禎と出雲鷺浦銅山の山師三島清右衛門が仙の山には入り
銅鉱石を採掘し、それを博多に持ち帰り精錬したのが始まりと伝えられています。
その後、寿禎は天文二年(1533)博多から、宗丹と慶寿という二人の精錬技術者を連れた銀山に入り、その当時
朝鮮半島で行われていた灰吹法という最新技術を導入し、産銀量は飛躍的に増大し16世紀中頃から17世紀にかけて
石見銀山は最盛期を迎えました。

 

☆石見銀山の歴史