江戸時代も後半になると、大名のなかからすぐれた茶人が登場します。なかでも代表的な大名に松平不昧と井伊直弼がいます。
松平不昧は出雲松江の城主で、名は治郷、また未央庵と号しました。財政の緊迫した松江藩を藩政改革で立て直し、その余力をもって茶器の大蒐集をしました。
若き日には、茶の湯に対する批判ももらしています。既成の茶の湯をこえて新しい茶の湯をきりひらくため、不昧は独自の茶の湯道具の研究へとすすみました。
その成果が『古今名物類聚』18冊の著作です。このなかでは、名物の形と寸法などを詳細に記し、いわゆる大名物、中興名物という名物の分類を立てています。
こうした名物研究を背景に不昧は茶器を蒐集し、約800点に及ぶ雲州蔵帳にのる道具を集めました。これらの道具は、こんにちも雲州名物として特に珍重されています。
この不昧の茶の湯は、近代にあって財界人たちの数寄者に大きな影響を与えました。
井伊直弼は彦根30万石の大名で、特に日本を開国に導いた大老として有名です。直弼は不遇な青年時代から一挙に井伊家の当主へと転身し、幕府政治の中枢に立つことになります。
若い頃から茶の湯に対して一貫した情熱を持ち続け、多忙な政治家としての余暇に茶の湯の精進をかたときも忘れませんでした。
安政4年(1857)、茶の湯研究の集大成である『茶湯一会集』を完成します。一会集のなかには、茶会にのぞむ心構えとして一期一会の思想が語られています。
一期一会とは一生に一度の意味です。二度とこの茶会に出会えないという真剣な気持ちで茶会に参加すべきだと直弼は教えています。
また、茶会が終わった後たった一人で茶を飲み、自分自身との対話を茶のなかに求めた独座観念を主張します。直弼の茶の湯はこうした精神性を強く求めたところにその特徴があります
出雲地方に影響を与えた茶人、松平不昧公