歌舞伎の創始者とされる出雲阿国は、出雲大社の鍛冶職中村三右衛門の娘で、出雲大社の巫女だったと言われています。
晩年は故郷である大社に帰ってきて尼となり、連歌庵で智月と称し連歌と読経の日々を送ったとされます。男装で刀剣を持ち、
最先端のファッションでかぶき踊りをして一世を風靡したそうですが、阿国の持つ刀を見て、中学校時代やっていた剣道を思い出しました。
阿国の生家である中村家の墓の隣に、石垣で囲った平たい自然石の墓が。芸能関係者や歌舞伎ファンなど多くの方が訪れるそうです。
連歌庵と出雲の阿国の墓