10.出雲国造北島家の専掌祭事

 出雲国造家が北島・千家に両立してから後の出雲大社の神事は、年中を6ヶ月ずつに分けて分掌することになりましたが、北島国造家は神在祭(かみありさい)
の行われる10月を頭(かしら)に12・2・4・6・8の偶数月の神事・社務を担当するほか、3月3日の三月会(え)の一番軸となる始めの祭典・五月会のときは
5月5日に斎行される初日の祭・また九月会のときは9月9日に斎行される一番大切な初めの祭儀等、有限の神事(昔から祭儀次第が限定=規定された祭事)や、
その祭事に伴う社務は北島国造家がもっぱら掌(つかさど)っていました。

 この三月会の一番の軸となる三番饗(きょう)・五月会・九月会の頭(最初)の祭の儀式は盛大を極め、出雲大社の70余度の祭礼の中でも最も重要な祭りだったと伝えられています。

 また、旧10月は諸国では神無月といい、出雲では神々ことごとく出雲大社に神幸し集会をなさるという故事から、神在月と称えて神秘の月でありました。
出雲大社ではこの10月11日より17日まで神在祭を斎行し、「北島国造及び上官等は庁舎に斎宿(心身を浄め、
食事その他に気を配って宿泊)して歌舞を設けず(唄ったり舞ったりしないで)、楽器を張らず、宮殿を掃はず(神社・庁舎等の掃除をしないで)、
第宅(だいたく)を営(いとな)まず(屋敷の建築をしないで)、臼杵相(うすきねあ)はず(餅をつく音も出さないで)、
巷歌(こうか)せず(民家でも歌を歌うのを慎んで)」静粛の中に祭典を斎行し、また神々の会議のお邪魔にならないようにして暮らし、
10月26日の夜、神等去出(からさで)神事(神々が出雲から各地に旅立たれる神事)を斎行していました。

 以上のことは、すでに記しましたように、出雲大社の御祭神・大国主命が目に見えない幽(かく)りたることをお治め下さる御神徳(宗教面から皇室、国民の弥栄を支えられる御神徳)
の精神をよく表している神道の神秘の祭事であり、古代から伝わったものとして、北島国造家では今もその精神を尊重しています。

 ついでですが、出雲大社の古い御櫛笥筥(みくしげばこ)に散らし書いてある紋が亀甲(きっこう)に有(十月)とあるのも、
この神在月が出雲大社にとってたいへん重要なお祭りであったことを表していると考えられます。

 この亀甲に有の字の神紋は、平安朝より足利時代までのものは亀甲の形が縦に細長く、それ以後のものは正六角形となり、二重亀甲に剣花菱(けんはなびし)の紋は出雲大社の神紋で、
両国造家の紋も同じです。

出雲大社北島国造家の歴史10