1.出雲国造北島家の始祖
出雲国造北島家の始祖は、皇室の御祖(みおや)、天照大御神の第二の御子神の天穂日命(あめのほひのみこと)です。そして、北島家は天穂日命の後、
今の国造家の当主第八十世建孝(たけのり)国造に至るまで系統連綿として続いている由緒正しい家系として、古くから国内に知られてまいりました。
日本書紀によりますと、神代の昔、天つ神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は天照大御神の御孫瓊々杵命(ににぎのみこと)が今の日本国を統治なさるのがよいと望んでおられました。
当時の日本国は、各地方を多くの国つ神が治められていましたが、そうした国々の中で、大国主命が「くにづくり」された葦原中つ国は、
大国主命の御神徳によって立派に治まっていた国でしたので、この国を瓊々杵命に譲ってほしい旨を大国主命に申し入れる為に、
天穂日命とその御子武夷鳥命(たけひなどりのみこと)を国の中心であった出雲の国に派遣なされ、次いで武甕槌神(たけみかづちのかみ)、
經津主神(ふつぬしのかみ)を重ねて派遣されて大国主命と談判されました。
この申し出を(いろいろ経過があったと神話は伝えていますが)結局は大国主命はお受け入れになり、いわゆる「国譲り」の大業が行われました。
高皇産霊神はこのことを大変お喜びになり、次のように申されました。「大国主命様、貴神がこれまで治められていた顕露(あらわ)のことは、
これからは吾が子孫(歴代の皇室を指す)に治めさせましょう。然し大国主命、貴神はこれからは幽(かくり)の事を治めてください。
貴神の御住居として天日隅宮(あめのひすみのみや)(出雲大社の別名)を直ぐにお造り致させましょう。その宮の柱は高く太く床は広くて厚い壮大な宮とさせましょう。
そして貴神をおまつりすることを天穂日命に命じ御奉仕させましょう」と。
皆様方も、上のことから、出雲大社の創建の由来をご理解くださり、天穂日命が出雲大社に奉仕なされ、大国主命に神仕えなさったことがおわかり下さると思います。
この天穂日命が出雲国造北島家の始祖で、天穂日命の御子、武夷鳥命より累代出雲大社の斎主としてご奉仕なさることになりました。
註:「顕露のこと」と「幽のこと」
「顕露のこと」とは今で云えば政治を行うことで、「幽のこと」は目に見えない諸々の事柄の奥にひそむ宗教的根源、あるいは顕露の背後にある精神的哲理ともいうべきもので、
ここが他の神社と出雲大社が違うところです。