『出雲国風土記』の最初、「意宇郡(おうぐん)」の冒頭に、出雲国の成り立ちが書かれています。いわゆる、「国引き神話」です。これは、
『古事記』や『日本書紀』には書かれていない、出雲独自の神話です。
『風土記』によれば、「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」が国をつくるのに、出雲国は小さすぎるので各地から引いてきて継ぎ合わせた、
と記されています。継ぎ足されたところは島根半島の部分です。
東端の「三穂(みほ)の埼」は北陸から、西端の「支豆支の御埼(きづきのみさき)」は朝鮮半島の新羅から、
その間の「闇見(くらみ)の国」と「狭田(さだ)の国」はそれぞれ「北門(きたど)の良波(よなみ)国」、「北門の佐伎(さき)国」から引いてきたと記されています。
これをつなぎ止めた綱が米子の弓ヶ浜と出雲の長浜で、その綱を止めた杭が大山と三瓶山だと言われています。
国引き神話