【神在月(かみありづき)旧10月】
陰暦の10月を神無(かんな)月という。
全国の神々がみな出雲大社に集まり、国々では神さまが留守になるので、
むかしから10月を神無月というのだという。
そこで出雲では全国の神々が来られるから、この月を神有(在)月とよんでいる。
この言葉は室町時代の辞書『下学集』に見えているので、かなり古くからこういう信仰が人々の間にはあったと思われ、
また十月という文字を組みあわせると「有」という字になるというので、大社の古い手箱の散らし紋にも、亀甲紋の中に「有」の字が描かれている。
【神迎神事(竜蛇祭)旧10月10日】
●平成24年の神迎神事は、11月23日午後7時より稲佐の浜・神楽殿で執り行われます。
神迎神事は神在祭の前夜に執り行なわれます。
神々を迎える「稲佐の浜」の浜辺には、御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする神迎えが行われる。
神事が終わると、その中央の神籬(大榊に細長い弊をつけたもの)に宿られた八百万(やおろず)の神々をご案内して、
3km余りの道程を神官を先頭に、全国から集まった何千人の信者たちが行列して出雲大社に向かう。
を神々の使者としてお迎えする神迎えが行われる。
この神在祭の間は風波ははげしいのであるが、このとき海蛇が波に乗って稲佐浜に浮かび寄ってくる。
これを「竜蛇さま」といって、八百万(やおろず)の神が大社に参集されるについて、祭神の使として来るのだと信じられ、
祠官はあらかじめ潔斎して海辺に出で、竜蛇さまを玉藻の上にうけ、曲げ物に載せて大社の神殿に納めるのを例としている。
竜蛇さまは豊作や豊漁、家門繁栄のしるしとして、大社の教信徒は貰いうけて帰る。
【神在祭(かみありさい)旧10月11日~17日】
●平成24年の神在祭は、11月24日~11月30日まで、御仮殿で執り行われます。
全国の神々は陰暦10月11日から17日までの7日間大社に集まり、
幽事(かみごと)すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ、人生諸般の事どもを神議(かむはか)りにかけてきめられるのだと信じられている。
男女の縁結びもこのときの神議りによるものであるという。
大社ではこのとき神在祭を執り行う。
大社の本社から西方800mにある上宮(かみのみや)が神々の会議所で、大社境内東西の十九社がその宿舎とされ、ここでも祭りが行われる。
この祭事の期間は神々の会議や宿泊に粗相があってはならぬというので、土地の人はこの間にあっては歌舞を設けず楽器を張らず、
第宅(ていたく)を営まず、ひたすら静粛を保つことを旨とするので、「御忌祭(おいみまつり)」ともいわれている。 ↑目次に戻る
→神在祭のルーツ伽耶時代の和白制度
【神等去出祭(からさでさい)】
●平成24年の神等去出祭は、11月30日・12月9日の両日仮拝殿で執り行われます。
出雲地方では大社の神在祭が終ると、引きつづき八束郡の佐太神社で神在祭があり、
簸川郡神立の万九千社(まくせのやしろ)より神々はそれぞれの国に還られるといい、大社では17日と26日の両度にわたり、神等去出祭を執り行う。
17日は大社からおたちになる日、26日は出雲の国を去り給う日ということなのである。
出雲で御忌祭の行われる神社はすべて七社、出雲大社を筆頭に佐太神社、神魂神社、朝酌下神社、朝山神社、万九千社に神原神社である。
この七社のうち出雲大社を除いてはすべて、出雲風土記に記すところの神名備山並に神戸里に近いところに位置している。
神名備山とは神のこもり坐す山という意味である。
ナパルとはこもる、隠れるという意味の古語である。
ここに御忌祭の本義を解き明す鍵があるように思われる。
出雲の国では大社に次いで社格も高く、神威も著しい佐太神社の神在祭では、10月の11日より16日までを上の物忌と20日より25日までの間を下の物忌という。
下の物忌は特に厳重な潔斎で、神官を始め祭祀関係者は社外に出ることば許されず、一般民家も作事や臼つき、物縫いまで固くいましめられている。
そして25日は神等去出の神事をつとめる。
即ち夜10時頃に神離につづいて行列が社を出発して、神社の背後の朝日山という神南備山に登り、
朝日山の尾根つづき、立ち木の生い茂った山の頂近く、恵曇の海が眼前に広く展開する山の池に舟をうかペ、神を送り出すのである。
万九千社でもむかしは神名備山の麓で火を焚いて、神を送るという慣行があったという。
このように考えてくると出雲の神在祭と祭りにともなう御忌みは、もともと他国から集まる神を迎える祭儀ではなくして、
神名備山に坐す神霊を麓の里に迎えるがための祭儀であったのではなかろうか。
御忌みは聖なる山から降りて来られる神霊を迎えるがための物忌みなのである。
ところが出雲大社の近傍には、神名備山はない。そこで大社と深い関係にあった大庭の神魂神社が想い合わされる。
大庭の近くには西北にあたり、美しい山容をもった茶臼山があり、この茶臼山が出雲風土記にいう神名備山である。
そこで大社の御忌祭は神魂の社の祭儀が移されたのではあるまいか、という見解を出す人も少くはない。
いかにもと思われる考え方ではあるが、大社の祭りは他の六社のそれとは、意義を別途にするものがあるように思われる。
すなわち11月23日の夜に執行される古伝新嘗祭との関係である。
稲佐の浜では、御神火が焚かれ、龍蛇(海蛇)を神々の使者としてお迎えする神迎えが行われる。
稲佐浜(いなさのはま)19時から神迎祭(かみむかえさい)が始まる
毎年、全国各地の神々がこの出雲の地に集まって、国の運営などについて会議をする
稲佐浜(いなさのはま)の「神迎神事」の写真
稲佐浜で「神迎神事」が終了後、出雲大社までの約、3Kmの道のりを、神々が乗り移った
「ひもろぎ」を絹垣(きぬがき)で覆い、それを神職が左右からガードするような隊列を組んで出雲大社にお連れします。
出雲大社に到着、神楽殿でも神迎祭が行われる
神迎祭が終了したら東西の十九社に神々が宿られます。一夜が明けたら
出雲大社で神在祭が始まります。
神等去出祭(からさでさい)=出雲大社の神在祭が終わると神々は佐太神社に移動されます。
引き続いて佐太神社で旧暦:10月17から神在祭が始まります。
最終日の26日には万九千社で一連の行事を締めくくり、神々たちはそれぞれの国に御帰りになります。
出雲大社=島根県簸川郡大社町杵築東にある出雲大社の正式名称は「いずものおおやしろ」ですが、杵築(きずき)にある所から杵築大社とも呼ばれ、日本NO1のパワースポット、
縁結びの神様として全国に知られています。出雲大社は大黒様(だいこくさま)別名(大国主神:オオクニヌシノミコト)を祀り、
国引き神話の中心人物として因幡の白ウサギを救ったことでも有名です。旧暦の10月11日から17日まで、全国の神々が出雲大社に集い、神議りをされるので、
他の地方ではこの月を神無月といい、出雲地方では、神在月と呼びます。前日の10日の夜には海から来る神々を迎えるために稲佐の浜(いなさのはま)で神迎(かみむか)えの神事が行われ、
神の使いである龍蛇(りゅうじゃ)を出雲大社本殿に納めます。また日本最古の大社造りの神社としても有名で、正面の神楽殿には長さ8メートル重さ1.5トンの大しめ縄があります。
ちなみに出雲大社境内の総檜造りの拝殿は1959年(昭和34)の再建、しめ縄は周囲4m、長さ8m、重さ1.5トン。
出雲大社がいつごろ創建したかは定かではありませんが出雲国風土記には大国主命のために、神々が集まって宮を杵築(きず)いたという記録からして、8世紀期頃には、
社殿が建てられていたと思われます。現在の本殿は延享元年(1744)造営されたもので、屋根は切妻造りで心御柱(しんのみはしら)を中心に田の字型に仕切られ、
屋根の千木(ちぎ)は長さ7.8m、3本の勝男木(かつおぎ)は5.4mで、彰古館に詳細な見取り図などが展示されています。出雲大社祭礼年間72回。