再度、タケミカヅチが来て、オオクニヌシに尋ねます。
「二人の子供は恭順の意を示したが、貴方の考えはどうなのですか?」
オオクニヌシは答えます。
「子供達と同意見です。この国の全てを献上しましょう。
だが、私の住まいとして、天つ神の立派な宮殿のような建物をお造り下さるのなら、幽界に身を引いて静かに暮らしましょう」
これを確認したタケミカヅチは高天原に帰り、葦原中国(山陰地方中部)の平定と帰順を報告しました。
古事記通りに解釈すれば、オオクニヌシは弱腰で国を譲り、その代償として建ててもらったのが、出雲大社(島根県出雲市大社町)となります。
しかし、日本書紀の巻第二神代(下)には、強気のオオクニヌシの姿が記されています。国を譲るかとの問いに対し、「俺が元々いるところえ後からやって来て、
何を言うか」と追い返します。
すると様々な好条件を提示されて合意形成となるのですが、その中に御殿(出雲大社)の建設があります。
弱腰か・強気のいずれにせよ、高天原側が御殿を建てたようです。
ところが、オオクニヌシはこの建物には住まないのです。
「建物を造ってくれるのなら、幽界に身を引く」と言っているからです。
オオクニヌシは、なぜ住みもしない建物を要求したのでしょう。
学問の世界でもこの部分は謎のようです。
2月に遷宮前の最後の一般拝観が、行われます。
詳しくは、℡0853-53-3100(6:30~20:00)までお問い合わせ下さい。
オオクニヌシの国譲り